『CODENAME:H→→←←6』 「えがたい臓器」 作ガース『ガースのお部屋』


○ フラワーショップ『ザイダ』・表(夜)
  店頭で対峙する赤いコスチュームスーツを身につけた
  コードネーム・H(木崎メイナ・24歳)と前原 美智(23)。
  ジンジンと痛む頬を押さえ、声を震わせる美智。
美智「なんで…」
  美智を睨むH。
H「霞さんの携帯の番号…どうやって知ったの?」
美智「Hを助けたかったから…私…」
H「私を救うために宏也君を囮につかったの?」
美智「違う」
H「じゃあ、どうして高部峻がOに捕まっている事をあの子に喋ったの?」
美智「…会話をしているうちについ…そう言う事ってあるでしょ?」
H「私が遅れていたら、Oに殺されていたかもしれないのよ」
美智「喋った事は謝る。でも、宏也君を囮に使うだなんて…そんな事絶対考えない。
 そんな目で見ないでよ…」
H「…」
  美智、目に涙を潤ませている。
  それを見つめ、困惑するH。
H「悪いのは、私ね。無理な事を押し付けてしまってごめんなさい」
  H、美智に背中を向け、立ち去って行く。
美智「待って!H」
  立ち止まるH。
美智「今度は、ちゃんとやるから…」
  H、寡黙に立ち去って行く。
  Hを見つめながら涙を拭う美智。

○ とある雑居ビル・3F・リビング(翌日・朝)
  ソファに横になり眠っている高部峻(22)。毛布を体に巻きつけている。
  テーブルの上に置かれている鳥篭。止まり木に乗る黄色いインコ・カラメル。激しく横に動いている。
  鳴り響くチャイム。何度も鳴っているが眠り続けている峻。
  激しくドアを叩く音が聞こえてくる。
  暫くして、音が止まる。
  目を覚ます峻。と同時に大きなくしゃみをする。
  毛布に包まったままハッと起き上がる。
峻「頭いてぇ…薬屋行かねぇと…」
  峻の後ろで女の声が聞こえる。
女の声「薬ならあるけど…」
  峻、声を聞き、うんざりした表情を浮かべる。
峻「こんな朝っぱらからここに来たって事は、また、何かの任務なわけ?今日は、駄目かもしんない。
 井戸の水に浸かりすぎて体ふやけちゃってさ…」
  振り返り、女のほうを見つめる峻。女を見つめ、驚愕する。
峻「どちら…様?」
  チェック柄のワンピースを着た清楚な女が立っている。
女「あの…九頭探偵事務所の方ですよね?」
峻「はぁ?」
  女、肩に下げているショルダーバックから財布を取り出し、名刺を峻に手渡す。
  名刺を見つめる峻。
峻「樋野サユリ…フードコーディネーター…?」
  女は、樋野サユリ(28)。
峻「どうやって中に?」
サユリ「開いてましたよ、鍵…」
峻「部屋間違えてるんじゃないですか?」
サユリ「でも、ドアにちゃんと看板が…」
  首をかしげる峻。

○ 同・部屋・表
  ドアの前に立つ峻とサユリ。
  ドアに『九頭探偵事務所』の看板が貼り付けられている。
  峻、看板をはずし、
峻「わざわざこんなの作っちゃって…誰がこんなスケールのでかいいたずらを…」
サユリ「じゃあ、探偵事務所じゃないんですか?」
峻「ただの住人です…」
  サユリ、バックの中からちらしを出し、
サユリ「でも、これを見たら、住所は、ここで間違いないと思いますけど…」
  峻、ちらしを見つめる。
  唖然とする峻。
峻「こんなもんまで…」
サユリ「じゃあ、これも…」
峻「誰かの嫌がらせですよ」
サユリ「困ったわ。急を要する依頼だったのに…近くに探偵事務所ってありません?」

○ 同・リビング
  ソファに座るサユリ。鳥篭に指を入れている。サユリの指を突っつくカラメル。
  携帯を使ってネット検索している峻。ディスプレイをまじまじと見つめながら、
峻「依頼って、どんな内容なんです?」
サユリ「えっ?」
峻「あ、いや、ちょっとした興味本位です…」
サユリ「弟の事です…5年近く、ずっと家の中に引きこもっていて…」
峻「所謂ニートですか?」
サユリ「今風に言うと、そうなるんですか?」
峻「一日中ゲームとかネットとかやってるんでしょ?」
サユリ「それならまだ安心できるんだけど、電気もつけずにずっと暗闇でボーっとしたり、こそこそと
 何かをしているみたいで…」
峻「それは、ちょっとやば…いや、深刻ですね…」
サユリ「高校時代に交通事故にあってから車椅子の生活なんです。それまでは、バレー部のキャプテンを
 務めたり、活発で元気な子だったんですけど…一年前に母親も亡くなって…」
峻「…」
サユリ「近所の人に話を聞いたんですけど、最近、妙な行動を始めているらしくて…」
峻「どんな?」
サユリ「深夜に外へ出歩いているようなんです」
峻「彼女の自宅にでも遊びに行ってるんじゃ?」
サユリ「事故に遭う前は、つきあってた子がいたけど、今はいないはずです。私、仕事からの帰りも遅いし、
 あの子に付きっ切りで面倒を見る事もできないし…」
  峻、携帯のディスプレイにある探偵事務所のWEBページを表示させているが、電源を消す。
峻「ちなみに、予算って、どのくらいで考えているんですか?」
サユリ「どうしてそんなこと聞くの?」
峻「昔…バイトでやった事あるんですよ…探偵みたいな事…」
サユリ「本当に?」
峻「話しを聞いてたら、昔の事を思い出しちゃって…」
サユリ「上限300万くらい…」
  生唾を飲み込む峻。

○ 国道
  ビルの合間の道を走り抜けている白いクラウン。激しく車が行き交う。

○ クラウン車内
  助手席に座るH。白いシャツに黒のジーパン姿。右手に白髪混じりの中年の男が
  写る写真を持ち、まじまじと見ている。
  ハンドルを握る黒いスーツを着た紳士風の男・霞(かすみ) 良次(45)。
霞「加宮昇46歳。二日前、江美矢工業から人間の記憶をデータ化する『エミコンチップ』を盗み出した男だ」
  もう一枚、男が写る写真を見るH。
霞「そっちは、熊中書店の経営者・野村寛輔45歳」
H「どう言う関係なんです?」
霞「二人は、20年前、ある破壊工作組織を作り、政府官僚の暗殺計画を実行しようとした。しかし、計画は、
 未遂に終わり、二人は、P―BLACKの諜報員に拘束された」
H「釈放されてからの二人の足取りは?」
霞「野村は、実家の書店を譲り受けて、今は、そこの経営者になっている。加宮は、世界を転々とし、
 半年前に日本に戻ってきた。二人は、また何かを計画している可能性がある。
 野村に接近して、加宮を見つけ出せ」
  H、2枚の写真をポシェットの中にしまう。
霞「私の携帯に連絡してきた相手の目星は、ついたのか?」
H「まだ…」
霞「なんならこっちで調査をしてもいいんだぞ」
H「この任務が終わったら、必ず調べて報告します。もう少し時間をください」
  怪訝な表情を浮かべる霞。
霞「今まで君が携わってきたシークレットコードを調べれば、大体の察しはつくんだ」
H「暇なんですね。他にすることないんですか?」
  失笑する霞。
霞「やることは、山ほどある。君の監視任務もその一つだ」
H「じゃあ、黙って監視だけしていてください」
霞「仮にその相手が君の友人だったとしても、きっちり始末はつけるぞ」
  険しい表情を浮かべるH。

○ 武名木家・邸宅・表
  3F建ての白タイルの建物。
  何度もインターホンを押している峻。スーツ姿。
  応答がない。
  建物を見回す峻。窓やベランダ、バルコニーの扉が黒いカーテンで閉ざされている。
峻「やっぱ、出てくるわけないか…」
  峻、門扉を開け、玄関に向かって歩いて行く。
  玄関のドア前に立ち止まると、スーツのポケットから鍵を出し、鍵穴に差し込む。

○ 同・玄関
  ゆっくりと開くドア。
  外光が差し込み、一気に明るくなる。
  廊下の先は、暗闇が広がる。
峻「…井戸の悪夢再び…オバケ屋敷じゃあるまいし」
  
○ 同・廊下
  右手にライトを持ち、照らしながら歩いている峻。
  峻の足が何かぬめった物を踏みつける。
  立ち止まる峻。息を飲み込み、足元にライトを照らす。
  青白く濁った液体が床にこぼれている。
  臭いを嗅ぐ峻。つんと鼻をつく臭いがする。
峻「くせぇ…」

○ 同・リビング
  12畳くらいの広い空間。
  入口に立っている峻。
峻「…誰かいますか?」
  周りは、暗闇が広がり、静まり返っている。
  奥のほうでむしゃむしゃと何かを食らうような不気味な物音が聞こえてくる。
  入口の壁にライトの光を当て、電灯のスイッチを見つける峻。
  峻がスイッチを指で触れた時に、奥から男の声がする。
男の声「つけるな!」
  峻、思わずびくつき、声のほうにライトを当てる。
  車椅子に乗る男の後ろ姿が照らし出される。
  峻、ライトを男の頭に当てる。肩まで伸びた長い髪が見える。
  振り返る男。
  口の周りに赤い液体がこびりついている。口を開けると歯も真っ赤になっている。
  思わず叫び声を上げる峻。
男「まぶい。それ消せ!」
  峻、ライトを消す。
  真っ暗な部屋の中で会話を始める二人。
峻「…武名木八郎さん?」
男「それがどうした?」
  男は、武名木(むなき) 八郎(23)。
峻「実は、お姉さんの依頼を受けまして、あなたのお手伝いに来ました」
八郎「姉貴に?」
峻「どうして…こんな生活続けてるんです?」
八郎「人の勝手」
峻「そうですよね…」
八郎「いくら小遣いもらった?」
峻「ギャラはまだ…(すぐに口を閉じる)」
八郎「カーテン開けろ」
峻「えっ?」
八郎「開けろって言ってんだろ」
  峻、ベランダ際に近づき、カーテンをサッと開ける。
  部屋に光が広がる。仏壇の前にいる八郎の姿が露になる。
  八郎、車椅子を回転させ、峻と顔を合わせる。八郎、スポーツ選手風のイケ面。
  唖然とする峻。
  八郎、膝の上に置いているティッシュで口元についた赤い物を拭き始める。
峻「何か食ってたんですか?」
八郎「ホットドック。ケチャップ入れすぎた」
峻「廊下に白い液体がこぼれていましたけど…」
八郎「牛乳だよ。三日前にこぼした」
  八郎の車椅子が突然、動き始め、峻に向かって突進してくる。
  峻、思わず避けようとするが、車椅子は、峻の手前で方向へ変え、横切って行く。
  部屋を出て行く八郎。
  後を追う峻。

○ 同・キッチン
  部屋に入ってくる八郎。ガステーブルの
  下の戸棚を開ける。
  戸棚には、山積みされた現金の束。
  八郎、束を一つ掴む。
  暫くして、峻がやってくる。
  峻と対峙する八郎。
  現金の束を峻の足元に放り投げる。
  峻、思わず手を出しそうになるが思い止まり、
峻「なんですか?これ…」
八郎「姉貴は、いくら出すって言ってるんだ?こっちは、その倍出す」
峻「そう言うのが目的で来たんじゃなくて…」
八郎「監視されるのは、大っ嫌いだ。さぁ、それ持って出て行け」
峻「いつまでもこんな生活してたら、頭が変になっていくだけですよ…」
  峻の顔前に飛んでくる皿。壁に当たり割れる。
  食器棚にあった皿を手に持っている八郎。
八郎「それ以上喋ったら、殺すぞ」
峻「わかりましたよ、帰りますよ…」
  峻、慌てて、部屋を出て行く。
  興奮気味の八郎。少しずつ落ち着きを取り戻していく。

○ フラワーショップ『ザイダ』・表
  シャッターが閉まっている。
  『本日、急用により休みます』の張り紙がされている。
  
○ 同・店内・1F
  レジの前に座り、生気のない表情を浮かべている美智。
  レジのドロアを開け、携帯電話を取り出すと、床におもいきり投げつける。
  バウンドして床を滑る携帯。
  レジのそばに置いてあるひまわりの花を漫然と見つめる美智。
  立ち上がり、ひまわりの花の前に近づく。
  ひまわりの花を睨みつけ、突然、花を引きちぎる。
  床に無惨に落ちるひまわりの花。
  それを踏み潰す美智。
  表からシャッターを叩く音が鳴り響く。
  我に返る美智。
  美智、無視して地下に続く階段を下り始めようとする。
  シャッター音を叩く音がいつまでも鳴り響く。
  立ち止まる美智。シャッターのほうを見つめ、声を上げる。
美智「すいません、今日は、休みなんです」
  外から初老の男の声が聞こえてくる。
男の声「娘がどうしても花を見たいって言う事を聞かなくてね。1分だけでいい。花を見せてくれないか?」
  美智、シャッターの前に行く。開閉スイッチを押し、シャッターを少し開ける。
  半分開いたシャッターを潜り、中に入ってくるフードつきのブルゾンを着た男。
  G5(木崎満彦・52歳)。フードで顔を隠している。
G5「すまないね、無理を言って」
美智「いいえ」
  美智を横切り、棚に置かれた花を見回して行くG5。
  G5、床に落ちている踏み潰されたひまわりの花に気づき、花を拾う。
  美智、その様子を見つめ、慌てて、G5に近寄る。
G5「ひまわりは、娘が一番好きな花でね。これを見たら悲しむだろうな…」
  G5、ひまわりの花を美智に手渡す。
  美智、悲しい目でひまわりを見つめながら、
美智「…この店、もうすぐ閉めるんです。お好きな花、好きなだけ持っていってください」
G5「やめて、どうするの?」
美智「わかりません。本当は、花なんて全然興味がないんです。2年も続けられたのは、
 奇跡みたいなもので…」
G5「ご両親は?」
美智「いません…」
G5「じゃあ、ずっと一人で?」
美智「はい」
G5「そりゃあ、大変だったね。でもこの建物も土地も君の物なんだろ?」
  美智、怪訝な表情でG5を見つめる。
G5「実は、私、昔刑事をやっていたことがあってね。その頃の腕を買われて、今度調査会社を
 立ち上げる事になったんだ」
美智「調査会社?」
G5「ゆくゆくは、全国にチェーン展開して、大規模な経営をして行きたいと思っている」
  美智、興味深げにしている。
  G5、ひまわりの花の前に立つ。
G5「このひまわり、あるだけ包んでくれ」
美智「はい」
  美智、飾っていたひまわりの花を全てを掴み取り、テーブルの上に置いて、包装し始める。
美智「娘さん、どこかお悪いんですか?」
G5「学校で怪我をしてね。右腕を…危うく切断するところだった」
美智「大きな怪我だったんですね。入院されているんですか?」
G5「ああ。わがままな娘でね。私の言う事を中々聞いてくれなくて…」
  包装したひまわりをG5に手渡す美智。
  G5、ジーパンのポケットから折れた一万円札を出し、美智に手渡す。
  美智の前から立ち去って行くG5。
美智「あのお釣り…」
  立ち止まり、美智の顔を見つめるG5。
美智「さっきの話の続き…聞かせてもらえませんか?」
  不気味に笑みを浮かべるG5。
G5「いいとも…」

○ とある雑居ビル・3F・リビング
  扉が閉まる音。
  ゆっくりと部屋に入ってくる峻。
  ソファのほうを見つめ、立ち止まる。
  ソファに座るH。峻に気づき、振り向く。
  テーブルの上の鳥篭、その周りに食べ終わったプリンのカップが無造作に置かれている。
H「どこ行ってたの?」
  苦笑いする峻。
峻「ちょっと…」
  上着を脱ぎながら、Hの後ろを横切って行く峻。
H「仕事、やめたんじゃなかったの?」
峻「…自宅に戻ってたんだ」
H「冷蔵庫に入ってたプリン、全部食べた」
  部屋の片隅に置いてある鞄の前に屈む峻。
  鞄の中に手を入れ、弄る。
峻「また補充しとかないとね…新しい任務?」
H「そのために腹ごしらえしたの。あなたが要望していた業務用の携帯武器の事だけど、
 霞さんが用意してくれた」
峻「ホントに?どんなの?」
H「私は、知らない。想像に任せる」
峻「何も持ってないと不安だもの、この仕事。でも、悪いけど、今回は、手伝えそうにないな」
H「どう言う事?」
  峻、立ち上がり、
峻「井戸の水に浸かりすぎて風邪引いたみたい。頭痛が酷くて…ヘマやらかして
 殺されでもしたら、洒落になんないし…」
H「スパイ…続けて行く気あるの?」
  峻、頭を抑え、
峻「…もちろんあるけどさ、ああ、熱が出てきた。ふらふらする」
  立ち上がるH。
H「もういい。一生ここで芋虫みたいに寝てればいい」
  部屋を出て行くH。
  峻、しめしめといった表情を浮かべる。
  突然、立ち止まり、振り返るH。
H「その看板…何?」
峻「えっ?」
  部屋の入口前の壁に立てかけられている『九頭探偵事務所』の看板。
峻「…誰かのいたずらだよ。俺もびっくりしてさ。最近こう言う手の込んだいたずらが流行ってるのかな?」
  H、釈然としない面持ちで、その場を立ち去って行く。
  扉が開き、閉まる音が響く。
  ソファに深く座り込んで、溜息をつく峻。
峻「臨時バイトをやるのも一苦労だな…ばれたら、ただじゃすまなそうだし…」

○ 熊中書店・店内(夜)
  店頭の雑誌コーナーに群がり立ち読みする客達。
  カウンターに立っている野村寛輔(45)。
  小説コーナー。エプロンをつけた女性店員・横井真菜(26)が新刷の本を並べている。
  ショートの髪。眼鏡をかけている。
  そのそばで立ち読みしているH。縁つきの赤い眼鏡をつけている。
  カウンターの方を覗き見るH。
  客の持ってきた本のバーコードを読み、レジを打っている野村。
  
○ 同・表(数時間後)
  店のシャッターが下りている。
  向かいの電柱のそばに立っているH。
  店の様子をまじまじと見ている。
   ×  ×  ×
  一時間後。
  裏口から出てくる野村と真菜。楽しそうに会話しながら、通りを歩き出す。
  H、2人の後を追い始める。

○ 駅前・改札口
  真菜、手を振りながら、改札を潜る。
  野村も手を振る。ロータリーに止まっているタクシーに近づく野村。
  タクシーの後部席に乗り込む。
  ロータリーを出て、市道を走り出すタクシー。
  改札前に立つH。走り去って行くタクシーを見ている。

○ レッツノースマンション・外景(深夜)
  4F建て。赤茶色のタイル貼りの建物。
  4階の野村の部屋。灯りがついている。
  マンションの前に立っているH。顔を上げ、野村の部屋を見つめている。

○ 同・裏
  道路を走るH。青い閃光を放ちながら、赤いコスチューム姿に変わる。
  立ち止まるH。右腕のアームシェイドを空に向ける。アームシェイドの発射口からワイヤーを発射する。
  ワイヤーの先端のフックが屋上のコンクリートの突き出し部分に引っかかる。
  ウインチを作動させ、勢い良く屋上へ引っ張り上げられるH。
  
○ 同・屋上
  着地するH。
  野村の部屋がある位置まで走り出す。

○ 同・4階・406号室・野村の家リビング
  ワンルーム8畳の部屋。
  部屋の真ん中に置いてあるテーブルに座り、ノートパソコンをいじっている野村。
  バルコニーの下にスッと蜘蛛のように下りてくるH。
  柱の影に身を隠し、バルコニーの扉のガラス越しに野村の姿を見つめる。
  部屋の隅々を見回すH。
  野村の携帯の着信音が鳴る。
  携帯に出る野村。
野村「もしもし…あ、君か。どうしたの?」
  女の声は、真菜。
真菜の声「バルコニーに誰かいるわ」
  強面になる野村。
野村「わかった」
  携帯を切る野村。
  ノートパソコンをしまい、立ち上がる。部屋の入口の壁にあるスイッチを押し、電灯を消す。
  突然、真っ暗になる部屋。

○ 同・バルコニー
  H、咄嗟に立ち上がり、アームシェイドのワイヤーを発射しようとする。
  その時、突然、扉が開き、野村が襲い掛かってくる。
  野村のパンチがHの顔面に当たる。
  H、アームシェイドの二連水平のバレルを伸ばし、マシンガンの銃口を野村に向ける。
  野村、左手に持っているサイレンサーつきの銃の銃口をHの腹に突き付け、引き金を引く。
  静かになる銃声。弾丸は、Hのスーツに当たるが火花を上げ、跳ね返される。
  H、ハイキックで野村の顔面を蹴り上げる。
  すかさず、アームシェイドのワイヤーを屋上に向けて発射しようとする。野村、Hにおもいきり体当たり。
  H、小さな悲鳴を上げ、バルコニーから転落する。
  道路のアスファルトに激しく体を打ち付け、うつ伏せの状態で倒れるH。
  Hの様子を窺う野村。

○ 同・前・道路
  Hに近づく真菜。
  Hの首筋に手を当て、脈を調べる。唖然とする女。
真菜「まだ生きてる…」

○ 同・4階・406号室・野村の家リビング
  野村と真菜がHの体を持ち上げ、運び入れている。
  部屋の真ん中にHを寝かす2人。
真菜「なんて重たいの…」
野村「この赤いスーツのせいだろ。何か特別な機械が埋め込まれてるのかもしれん。普通の人間なら、
 4階からアスファルトにまともに激突したら即死だぞ」
  真菜、Hの右腕を見つめ、
真菜「この腕もなんか変ね…」
野村「それにしてもよく気づいたな。助かったよ」
真菜「助かったって?」
野村「最近、誰かに見張られているような気がしていたんだ。それより、君は、どうしてここに?」
  真菜、バックからケーキの入った箱を出し、
真菜「これを渡すの忘れてたから。昨日作ったんです」
  箱を受け取る野村。
野村「ありがとう。ケーキ作るんだ。料理下手だって言ってなかった?」
真菜「この間、店にある料理本を読んで、チャレンジしたくなっちゃって…」
  野村、机の引き出しを開ける。直径2mmの黒く四角い『エミコンチップ』を取り出す。
真菜「何ですかそれ?」
野村「たぶん、こいつが狙っていたのは、このチップに違いない」
  野村、Hの頭頂部にエミコンチップをとりつける。
  チップの両脇についている細長い針が伸び始め、Hの頭皮を貫く。
  Hの体がぴくっと反応する。
真菜「何をしたの?」
野村「チップの表面に発信器が仕込んであるんだ。これでこいつの正体をつきとめてやる」
真菜「高価なものなんでしょ?」
野村「まだ、数に余裕はあるんだ。それに一度試してみたかったんだ。ちょうど良い実験台が見つかった」
  不気味に微笑む真菜。そっとバックに手を入れ、アイスピックを取り出そうとしている…

○ 武名木家・邸宅・表
  夜空に浮かぶ三日月。
  門前に立っている峻。
  峻、携帯を出し、ディスプレイに表示されている時計を見る。
  時間は、『0:07』。
峻「もうすぐ一時間か…コンビニ行きてぇ…。チキン食いてぇ…」
  玄関のほうから物音が聞こえる。
  峻、慌ててその場から立ち去る。
  玄関の扉が開き、車椅子に乗った八郎が姿を表す。
  八郎、扉の鍵を閉めると、門を潜り、道路を走り出す。
  電柱に身を隠している峻。八郎の後を追う。

○ 商店街
  シャッターが閉まる店が連なる。無人のアーケードを走っている八郎の車椅子。
  八郎の数メートル後ろを歩く峻。
  怪訝な表情を浮かべている。

○ 神社・境内
  暗闇の中、本殿に進む八郎の車椅子。
  門の柱に身を隠す峻。
  本殿の前で立ち止まり、合掌している八郎の後ろ姿がかろうじて見える。
峻「ホント暗いの好きだよな…こんな夜中に来る場所じゃねぇよ…」
  180度回転する八郎の車椅子。八郎の膝の上にコブラの絵のついた袋が置かれているのが見える。
  門に向かって進み始める車椅子。
峻「あれ…家出る時あんな袋持ってたっけ…?」
  峻、慌てて門の柱から離れる。

○ 住宅街・通り
  暗い夜道を悶々と進み続ける八郎の車椅子。
  数十メートル後ろで八郎を追っている峻。

○ 公園
  ベンチの前に立ち止まる八郎の車椅子。誰かに喋りかけているよう…。
  入口付近の木陰で八郎の様子を伺う峻。
峻「典型的な夜行性型か…まさにドラキュラだな…」
  くしゃみをする峻。
  八郎、それに気づき、峻のほうに顔を向ける。
  峻、慌てて、屈む。
  八郎、怪訝な表情を浮かべつつも、また、ベンチのほうに顔を向けている。

○ 都会の街並(翌日・朝)
  陽が昇り、建物に光が当たる。

○ とある雑居ビル・3F・リビング
  ソファで眠っている峻。
  突然、玄関のドアの音が大きく鳴り響く。
  眠り続けている峻。
  部屋に入ってくる霞。
  霞、突然、ソファを蹴り上げる。
  ソファから転がり落ちる峻。
  霞と目を合わす。
峻「何なんですか、いきなり…」
霞「昨夜は、Hと一緒じゃなかったのか?」
峻「今回の任務には、ノータッチですから、俺…」
霞「じゃあ、任務の内容については、何も聞いていないんだな?」
峻「何か、あったんですか?」
霞「連絡が取れないんだ。昨夜から」
  立ち上がる峻。
峻「どこかに潜入中なんじゃ…」
霞「それなら事前に報告があるはずだ」
峻「カスタードの居場所は、特定できたんですか?」
霞「ああ」

○ 国道沿い・駐車場
  6つぐらいの駐車スペースがあるこじんまりとした場所。
  真ん中のスペースに止まっている黒い軽自動車「カスタード」。
  カスタードの前に立つ峻。
  カスタードの運転席に乗り込み、中を調べている霞。しばらくして、車から降りてくる。
  対峙する2人。
  霞、駐車場のチケットを見つめる。
霞「昨日の夜8時3分頃にこの駐車場に入っている」
峻「半日も止まったままか…」
  霞、携帯を出し、電源を入れる。携帯のディスプレイに地図を映す。
霞「野村の書店は、ここから300m東だ…」
峻「野村って…?」
霞「Hが調べていた男の名前だ」
峻「じゃあ、その書店に行って、話しを聞きましょうよ」
霞「まだ、任務の途中だ。向こうにこっちの存在を気づかせるようなマネはできん」
峻「じゃあ、俺がやりますよ」
霞「…」
峻「野村の自宅の住所…教えてください」

○ レッツノースマンション前
  勢い良く走ってくるカスタード。
  マンションの前に立ち止まる。
  運転席から降りる峻。
  顔を上げ、建物を見回す峻。

○ 同・エントランス
  406号室のポストを確認する峻。
  ポストには、名前が書かれていない。
  エレベータに向かって歩いている峻。

○ 同・4階通路
  エレベータから降りる峻。通路を歩き出す。
  406号室のドアの前に立つ。インターホンのボタンを押す。
  応答がない。何度も鳴らし続ける。
  やはり応答がない。
  ドアノブを握る峻。回すとドアが開く。
  唖然とする峻。
  ソッとドアを開け、中を覗き見る。
  リビングの真ん中で大の字で眠っているHの姿が見える。
峻「H?」
  峻、ドアを開け、中に入る。

○ 同・406号室・野村の家リビング
  駆け込んでくる峻。
  峻、Hに近づき、体を起こす。
峻「おい、起きろよ」
  Hの体を激しく揺らす峻。
  暫くして目を覚ますH。空ろな目で峻の顔を見つめる。
H「誰?」
峻「寝ぼけんなよ」
  H、峻を払い除け、突然、立ち上がる。
  バルコニーの扉の前に立ち、景色を見つめるH。
H「凄い良い景色…」
峻「何言ってんだよ。野村の家だぞ、ここ」
  H、自分の格好を見て、ケラケラと笑い出す。
H「私…なんて格好してんだろ」
峻「自分のユニフォームだろ。何を今更…」
H「こんな格好じゃ外歩けない。ねぇ、服取ってきて…」こ
峻「服って、いつもどこに置いてるんだよ?」
H「知らない」
  H、右腕のアームシェイドに気づき、不思議そうに見回している。
H「何これ…」
  H、アームシェイドを峻に向ける。
  銃身が伸び、マシンガンが発射される。
  峻、トンビのように飛び跳ねながら、連射される弾丸を避ける。
  白い壁に波のように風穴が空く。
  興奮気味に喚く峻。
峻「殺す気か!」
  おどおどしているH。
H「だって、知らなかったんだもん…」
  目に涙を浮かべるH。
  呆然としている峻。
峻「えっ?…もしかして泣いてる?」
  涙を手で拭うH。
H「うるさい!」
  困惑する峻。

○ とある雑居ビル・3F・リビング
  白いシャツと青いスカートを着ているH。
H「なんかセンス悪くない?」
  可愛くポーズを決めるH。
峻「じゃあ、自分で選べば良かっただろ。人に買わせてきといて。結構はずかったんだぞ」
H「鏡ぐらい置いとけよ。何なのこの部屋…」
  H、ふくれっ面を浮かべ、ベランダの扉のガラス越しに見える景色を眺める。
H「それに殺風景…さっきの部屋とは、大違い」
峻「君の部屋なんだけどここ…」
  振り返るH。
H「嘘。絶対こんなところ住まないよ」
  H、テーブルに置かれているプリンの空のカップを見つめ、
H「ねぇ、私にもプリンちょうだい?」
峻「…」
  H、腕のアームシェイドを気にし、
H「それとこれ、邪魔…取るから手伝って」
峻「H…」
H「Hって何よ?私の名前は、メイナ」
峻「本当に…何も覚えてないのか?」
H「もう…さっきから同じ事何回も聞かないで」
  溜息をつく峻。
  H、下を覗き、
H「あんなところに公園あるじゃん。ねぇ、遊びに行こう」
峻「駄目だって。もうすぐ霞さんがやって来るんだから…」
H「あのジジィ来るの…?」
峻「霞さんの事、覚えてるの?」
H「あの人大っ嫌い。くどいんだよ、いつも。何もかもがもう…。人の顔見たらさ、勉強しろ、体を動かせって…
 毎晩決まった時間に説教たれてさ、うぜぇの、ホントに…」
峻「そろそろ俺の事も思い出した頃じゃない?」
H「そんな事どうでもいいからさ。ねぇ、公園。早く…」
  H、峻の腕を引っ張りながら部屋を出る。

○ 公園
  ブランコに乗るH。
  立ち漕ぎして、大きく揺れている。
  楽しそうに声を上げているH。
  そばにいた子供達がHを指差して笑っている。
  それに気づくH。子供達を睨みつけ、
H「あっち行け!」
  ベーと舌を出すH。
  逃げ去って行く子供達。
  ブランコの前に立っている峻。
  Hの姿を見つめ、
峻「携帯のカメラで撮影しといてやろうかな…正気に戻ったら卒倒するだろうな…きっと…」
  峻のそばにやってくる霞。
  霞と顔を合わせる峻。
霞「Hは?」
  峻、ブランコのほうを指差す。
  霞、Hの姿を見つめ、唖然とする。
霞「どう言う事だ?」
峻「野村の部屋で見つけた時は、すでに記憶を失った状態で…昨夜の事は、何も覚えていないみたいです。
 俺の事も…でも、霞さんの事は、覚えているみたいですよ」
霞「野村は、部屋にいなかったのか?」
峻「はい。鍵が開けっ放しになっていました」
  霞、Hの前に近寄る。
  H、霞に気づくがブランコを止めない。
霞「降りろ、H」
H「やぁだよ」
霞「おまえは、断片的に記憶を失っているんだ。早く治療しないと大変なことになる」
H「うるさいな。訓練とかもううんざり」
霞「そうか…あの頃に戻ったんだな、メイナ」
H「私には、できっこない。復讐なんて…」
  神妙な面持ちの峻。
霞「パパ、出所したぞ」
  ブランコを止めるH。険しい顔つきになる。
H「どこにいるの?」
霞「今探しているところだ」
  ブランコから降り、霞と対峙するH。
H「殺してやる…」
  唖然とする峻。
霞「今から一緒に探しに行こう」
  頷くH。Hの肩を抱き歩き出す霞。
  峻の前を横切る2人。
  呆然とする峻。

○ 前倉医院・全景
  こじんまりとした小さな建物。

○ 同・治療室前・待機室
  長椅子に座る峻。
  暫くして、医院長室の扉が開き、霞が出てくる。
  立ち上がる峻。
峻「Hは?」
  霞、掌に乗せた電子チップを峻に見せる。
霞「あいつの頭に取り付けられていた。これが原因で記憶障害を起こして、
 思春期の記憶を呼び起こしたらしい」
峻「それでもう大丈夫なんですか?」
霞「手術は、成功した。海馬の損傷も見られなかった。ただ、このチップには、発信器が仕掛けてあった。
 誰かが我々の行動を監視している可能性がある」
  険しい表情を浮かべる峻。
峻「一つだけ、聞いて良いですか?」
霞「…」
峻「Hは、どうして父親の事を恨んでいるんですか?」
霞「あいつは、それを果たすためにこの仕事を選んだ」
峻「…」
霞「生まれ持っての宿命なんだ…」
峻「もう一度、野村探してみます」
霞「…そう言えば、武器が欲しいと言ってたな」
峻「護身用と言うか、業務用と言うか…」
霞「準備してある」

○ 国道
  二車線の道路。慌しく走る車両。その中を走行するカスタード。
  赤信号。
  停止戦で立ち止まるカスタード

○ カスタード車内
  運転席に座る峻。
  助手席のシートに置かれている青色の短い棍棒。
  不機嫌そうな顔で棍棒を見ている峻。
峻「Hみたいなのを期待してたのにさ…棍棒って…せめて、ほのおの剣と鉄の鎧ぐらい用意しろよ…」

○ 熊中書店・店内
  閑散としている店内。
  中に入ってくる峻。
  カウンターに立っている真菜の前に近づき、声をかける。
峻「野村さんは、来てますか?」
真菜「まだ出勤していませんが」
  真菜、後ろの壁に掛けてある時計を見つめ、
真菜「おかしいな。いつもならとっくに店に入っている時間なのに…」
峻「昨日、何時に店を出たか知ってます?」
真菜「書棚の整理をしてから、10時30分頃に店を出たんですけど…」
峻「一緒に出たんですか?」
真菜「ええ。それから駅で別れて…そう言えば、昨日は、珍しくタクシーに乗って帰るって言ってたような…」
  峻、慌てて店を出て行く。
真菜「あの…どちら様ですか?」

○ レッツノースマンション4F
  通路を走る峻。
  406号室前に立ち止まり、ドアノブを握る。ノブを回すが鍵がかかっている。
峻「あれ…今朝来た時は、開いたままだったのに…」
  インターホンのボタンを押す峻。
女の声「あれ…」
  峻、女の声のほうに顔を向ける。
  峻の前に立つサユリ。
峻「あれ…ここに住んでるんですか?」
サユリ「私の部屋、401号室なの。もしかして、あなたもここの住人?」
峻「いいえ、違います」
サユリ「じゃあ、こんなところで何してるの?」
峻「いや、その…あっ、この部屋に住んでる人の事…知ってます」
サユリ「野村さんでしょ。どうかしたの?」
峻「見かけませんでした?」
サユリ「さぁ…あんまり話した事ないから…知り合いなの?」
峻「ええ、まぁ…」
サユリ「弟の事は、どこまで進んでるの?」
峻「あっ、今朝、連絡しようと思っていたんです。昨夜尾行したんですよ。言ってた通り、夜外出していました」
サユリ「どこに行ってた?」
峻「0時過ぎに家を出て、散歩がてらに車椅子で町をぶらぶら…商店街とか、神社とか…3時頃まで
 あちこち走り回って…こっちは、もうくたくたですよ…」
サユリ「他に何か変わった事は、なかったの?」
峻「台所に大金を隠していました…ザッと見た感じだと、1000万?いや2000万ぐらいかも…」
サユリ「他には?」
峻「そう言えば、膝の上の袋が気になったな…」
サユリ「袋?」
峻「コブラのマークが入ったやつ…家を出る時は、持ってなかったのに…一体どこで
 拾ったのか…大事そうに持っていましたよ」
サユリ「その中身は、何だったの?」
峻「中の物までは、確認できなかったんですけど…」
サユリ「そう。ありがとう」
  峻のそばを横切り、立ち去って行く
峻「あっ、今晩も見張りますから」
サユリ「頼むわね」
  サユリ、エレベータに向かい、乗り込む。
峻「こう言う偶然ってあるんだな…日本は狭いや…」
  歩き出す峻。
  401号室の前を通り過ぎた瞬間、突然、ドアが開く。
  立ち止まり、振り返る峻。
  両手、両足を縛られ、口に瓶を入れられ、ガムテープで塞がれている野村が通路に倒れ、悶えている。
  峻、慌てて、野村の元へ駆け寄り、ガムテープと瓶を取る。
峻「どうしたんですか?」
  野村、何かを喋ろうとしているが、顎がはずれていて、言葉にならない。
峻「おまえ…野村?」
  何回も頷く野村。
野村「あぅつは…へんたぃしたる…」
峻「えっ?」
  峻の背後に迫る人影。
  峻、背中にスタンガンが押し当てられる。流れる電流。呻き声を上げ、野村の体の上に倒れる峻。
  大きく目を見開き、女を見ている野村。
  女は、サユリ。不気味に微笑んでいる。

○ P―BLACK本部・地下G2Aオフィス
  黒い壁に覆われたシックな部屋。
  仕切りのすりガラスの向こうで、黒い椅子に座る男の後ろ姿が見える。
  スキンヘッドの男、暗号名『G2A』。  
  すりガラスの前に立っている霞。ガラスの向こうから聞こえてくるG2Aの声を耳を澄まして聞いている。
G2A「Hの容態は?」
霞「治療を受けて、ベッドで眠っています。麻酔による昏睡から目を覚ますまであと2時間ほど
 かかるようです」
G2A「記憶のほうは、問題ないのか?」
霞「担当医から、正常な状態に戻ると聞いています」
G2A「チップの解析は?」
霞「先程終わりました。チップの両端に、極めて細い針がついていて、頭にチップをセットすると
 同時に針が伸び、記憶つかさどる脳の海馬の部分にまで達して、電気ショックを与える
 仕掛けになっていました」
G2A「どうして野村がチップを持っていたんだ?」
霞「今調べています」
G2A「野村を拘束して、加宮の居所を早くつきとめろ」
霞「わかりました」
  霞、一礼し、部屋を出て行く。

○ 山道
  狭い道を走行する白いクラウン。うねったカーブをひたすら進んでいる。
  道幅が少し広がると、突然、道脇に車を寄せ、立ち止まる。

○ クラウン車内
  携帯を出す霞。峻の携帯の番号をディスプレイに表示させ、電話をかける。
  しかし、応答がない。
  少し焦った表情を浮かべる霞。

○ レッツノースマンション4F・401号室・リビング
  鎖で体を縛り付けられ、白い壁に磔にされている峻。口には、瓶を口に押し込まれ、
  ガムテープが貼られている。
  目を覚まし、顔を上げる峻。辺りを見回し、驚愕する。
  峻の正面の壁に同じく磔にされている野村とその隣にサユリの姿が見える。
  頭を垂れ、微動だにしない野村。峻を見ているサユリ。
  峻、必死に声を出している。
  暫くして部屋に入ってくる女。女は、もう一人のサユリ。
  峻、もう一人のサユリを見つめ、愕然としている。
  峻の前に立つもう一人のサユリ。
もう一人のサユリ「種明かししよっか?」
  もう一人のサユリ、突然、自分の顔を引き剥がす。その下から現れたのは、真菜の顔。
  ニヤリとする真菜。
  真菜、峻の口元のガムテープを勢いよくはがし、瓶を取る。
  真菜、右手に持っているアイスピックを峻の左胸に当て、
真菜「騒いだら突くよ」
峻「なんで、サユリさんに変装した?」
真菜「武名木八郎が隠しているものを探して欲しかったからよ」
峻「あの部屋に妙な看板を仕込んだの、おまえか?」
真菜「面倒臭かったけど、面白かったわ。ドッキリ番組みたいでさ」
峻「変装してるのに、どうして俺にあいつを調べさせたんだ?」
真菜「事前に入手した情報の真意を確かめたくて。あなた達が政府の雇われスパイだって事をね…」
峻「どこまで知ってるんだよ?」
真菜「赤いスーツを着た女もあんたの仲間でしょ?今頃記憶がぶっ飛んで、赤ん坊みたいに
 暴れ捲くってるかもね」
峻「武名木が隠してる物って何だよ?」
真菜「それは、想像に任せるわ。あんた達は、天空の世界へ送ってあげる」
峻「想像に任せるって…Hみたいなこと言いやがっ…」
  真菜、峻の口の中に瓶を突っ込み、ガムテープを貼り付ける。
  真菜、部屋の中央に掌サイズのカラフルな立方体の箱を置く。立方体は、
  6面に赤青黄緑桃紫の色がついている。
真菜「バイバイ」
  楽しそうにステップを踏みながら部屋を出て行く真菜。
  扉が閉まり、鍵がかかる音が空しく響く。
  峻、必死に声を上げている。
  暫くして、立方体の箱の上面と横の五面から噴出し口があらわれ、そこから毒ガスの赤い煙が
  噴き出し始める。
  みるみる煙が部屋の中に充満して行く。
  サユリ、項垂れ、気を失いかけている。
  峻、声を上げている峻。
  赤い煙が峻の前に広がってきた時、突然、青い閃光が峻の前を横切る。
  峻の体を縛り付けていた鎖がバラバラになり、足元に落ちる。
  峻、ハッと正面を見つめる。
  鎖を外されたサユリとその隣に野村を背負っている赤いスーツ姿のHがいる。
H「(峻に)早く外に出て」
  峻、ガムテープをはずし、口の瓶を吐き出す。手で口を押さえながら、玄関に向かって慌てて走り出す。

○ 同・401号室前・通路
  コンクリートに蹲っているサユリ。
  部屋から出て、扉を閉める峻。一息つく。
  H、野村を下ろし、柵の壁にもたれさせ座らせている。
峻「元に戻ったのか、H」
  峻を見つめるH。
H「何が?」
峻「いや…別に。どうして、俺がここにいるってわかったの?」
H「霞さんのプレゼントに発信器が仕掛けてある」
  峻、スーツの内ポケットから、棍棒を出す。
峻「これに?」
H「良かったわね。命拾いして」
  H、野村の様子を窺い、服を捲り上げ、野村の背中を確認する。
  野村の背中にアイスピックで刺された痕が残っている。
H「…死んでる」
峻「えっ!」
  野村の元に駆け寄る峻。
  愕然とする峻。
 
○ 国道
  二車線の道路。エンジンを唸らせ、周りの車両を次々と追い抜き走行するカスタード。

○ カスタード車内
  ハンドルを握る峻。助手席に座るH。
H「熊中書店の従業員が野村を?」
峻「そうだよ。野村からチップを奪うために、書店の従業員に変装して潜り込んでいたんだ」
  H、携帯のディスプレイに真菜の写真を表示させ、個人情報の文字に目を通す。
H「横井真菜25歳。彼女は、3年前からあの書店で働いてる。チップを奪うためだけに、そんなに
 長い時間を使うなんて考えられない」
峻「でも、そいつが野村を殺した犯人だよ。この目で見たんだから…」

○ 熊中書店・店内
  店の中に駆け込んでくる峻とH。
  カウンターの前に立っている真菜。
真菜「いらっしゃいませ…」
峻「何がいらっしゃいませだよ、店長殺しといて、このクソ女が」
真菜「店長殺しといてって…どう言う事ですか?」
峻「俺達も殺そうとしただろ。芝居は、もういいって。チップは、どこだ?」
真菜「何を言ってるのか、さっぱりわかりません」
峻「H、早く捕まえろよ」
  H、真菜をジッと見つめ、
H「戻るわよ」
峻「どうして?」
H「この人じゃない」
  静かに店を出て行くH。
峻「おい、H!」

○ 同・表・駐車場
  店から出てくる峻。
  カスタードの助手席に乗り込むH。
  峻も慌てて、運転席に乗り込む。

○ カスタード車内
峻「どうして捕まえないんだよ?」
H「車を出して。本当のスパイがいる場所に行くから」
峻「本当のスパイ?」
H「早く!」
  峻、口を曲げながら、エンジンをかける。

○ 熊中書店・駐車場
  急発進するカスタード。タイヤを軋ませながら駐車場を出て行く。

○ 武那木家・邸宅・リビング
  暗闇。仏壇と向き合い、何かぶつぶつ言っている八郎。
  突然、電灯がつく。
  車椅子を180度回転させる八郎。
八郎「誰だ?」
  部屋の真ん中に立つサユリ(真菜の変装)。
サユリ「いつまでこんなことするつもりなの、キモイのよ」
八郎「俺に構うなって言っただろ」
サユリ「だったら、こんな生活さっさとやめて、早く就職しなさいよ。父さんや母さんが
 生きてたら、今頃何て言うか…」
八郎「姉貴は、いいよな。父さんや母さんが生きてる頃に大学を卒業して、良い会社に就職できて、
 社内恋愛で結婚して、子供もできて、最高の人生を送ってる。俺は、大学受験前に事故って、歩けなくなって、
 入院中に母さんが死んだ。なんでこんな差が生まれるんだよ。説明しろよ」
サユリ「私に聞かれたって知らないわよ」
八郎「ほらな。いつもこうだ」
サユリ「もういいわ。そうやってスネた人生送ってなさいよ。母さんの保険金を食い潰して、
 飢え死にすればいいわ」
八郎「ああ。二度と来るな」
サユリ「でも、最後に聞いておかなければならない事があるわ」
八郎「はぁ?」
  サユリ、右手にアイスピックを持ち、振り回している。
サユリ「返してもらおうかしら。私の大事な宝物…」
八郎「宝物って…」
サユリ「あんたが隠し持ってるものよ。どこにあるの?」
八郎「さっきから何言ってんの?馬鹿じゃないの?」
  八郎の顔のそばに飛んでくるアイスピック。仏壇の横の壁にサクっと突き刺さる。
  硬直している八郎。
八郎「えー…」
  サユリ、もう一本、アイスピックを持ち、振り回している。
サユリ「馬鹿は、あんたよ。まともに生きるのがいやなら私が天空の世界へ送ってあげるわ」
八郎「天空って…お前、誰だよ?」
  サユリ、マスクをはずす。真菜の顔が露になる。
真菜「あのコブラの袋はね、あんたが持ってても意味ないのよ」
八郎「あの袋に何が入ってるのか、知ってるのか?」
  その時、真菜のアイスピックを持った腕にワイヤーが巻き付く。
  ワイヤーに腕をきつく締め付けられ、アイスピックを落とす真菜。
  振り返る真菜。
  部屋の入口にHと峻が立っている。
  Hのアームシェイドの発射口から伸び出ているワイヤー。
真菜「あんた…元に戻ったの?」
  真菜、ショルダーバックからサバイバルナイフを出し、ワイヤーを切る。
  Hもアームシェイドからワイヤーを切り離す。
H「加宮は、どこにいるの?」
真菜「死んだ」
H「…」
真菜「私は、あの人の意志を受け継いだだけ」
H「加宮にチップを奪えって命令されたの?」
真菜「別にあんなものどうでもよかったけど、あの人のために、野村から取り戻しただけの話しよ」
H「本当の顔を見せなさい」
  真菜、マスクを剥がす。美形の女の顔が露になる。女は、信楽美央(みお)(26)。
  美央の顔を見つめ、呆然とする峻。
H「加宮の恋人の信楽美央ね…」
美央「加宮も野村みたいに普通に生きようとしていた。なのに、野村が足を引っ張った…」
H「加宮は、なぜ死んだの?」
美央「野村に殺されたのよ。加宮は、野村の書店で働かせてもらうために、条件を飲んだのに…」
峻「条件って?」
美央「野村から江美矢工業が開発したチップを盗んでくるよう指示されて、加宮は、言われた通り
 チップを手に入れて、野村に渡した。だけど、はなっから野村は、彼と働くつもりはなかったのよ。
 加宮は、野村を殺そうとして逆に野村に…」
H「復讐を成し遂げったってわけね」
美央「そうよ。後は、この坊やからあの人の形見を取り戻すだけ…」
峻「形見?」
八郎「あのさ…さっきから全然話についていけないんだけど…」
  八郎を睨みつける美央。
美央「早く言え!どこに隠したの?」
八郎「知るか!」
美央「ああ、もうじれったい。もういい」
  美央、八郎の顔面に向けてサバイバルナイフを投げ飛ばす。
  八郎の顔面にナイフが迫るその瞬間、すっとHが八郎の前に立ちはだかり、アームシェイドの
  両側の翼を広げて盾にし、ナイフを跳ね返す。
  美央、バックからまたアイスピックを取り出し、咄嗟に向きを変え、峻のほうに放り投げる。
  峻、慌てて、右手に持っている棍棒を構え、迫ってきたナイフを打ち返す。
  アイスピックは、美央の右腕に突き刺さる。
  悲鳴を上げる美央。アイスピックを抜き取り、苦痛に耐えながら、ベランダのガラス扉に
  向かって走り出す。

○ 同・表
  ガラスを突き破り、外に飛び出す美央。
  Hも後を追って飛び出してくる。
  H、アームシェイドの銃口を美央に向け、マシンガンを撃つ。
  美央の足元で跳ねる弾丸。
  立ち止まる美央。
  H、アームシェイドの銃口を向けながら、美央に歩み寄る。
  振り返り、Hを見つめる美央。
美央「撃てば?」
  立ち止まるH。
美央「私を天空に送ってよ。楽しみにしてたの。あの人と会えるし」
  H、アームシェイドの切り替えボタンを押す。発射口からロープが発射し、一瞬で美央の体と腕を縛り付ける。
H「楽しみは、最後の最後までとっておきなさい」
  美央、その場に崩れ、力なく跪く。
  Hのそばにやってくる峻。峻、棍棒を自慢げに掴み、
峻「さっきの見た?すげぇよ。今日一日だけでこいつに二度も命を救ってもらった。
 見かけによらず、頼りになる奴だぜ…」
  棍棒にキスする峻。
  H、峻を無視して美央の前に行く。
H「形見って一体何?」
  顔を上げる美央。
美央「あの人が死ぬ前にUFOキャッチャーで取ってくれた河童の人形…」
  峻も美央の前にやってくる。
美央「いつもショルダーバックの中に入れてたんだけど、そのバックを落としてしまった。バックは、
 見つかったけど、人形だけは、見つからなかった。近くに住む人に聞きまわったら、車椅子の男が
 人形を持ってたって言うから…」
峻「そんなものを見つけるために俺を利用したのかよ」
  峻を睨む美央。
美央「悪い?」
  H達の前にやってくる八郎。
八郎「河童の人形なんて、知らねぇぞ。たぶん別の奴だろ」
峻「じゃあ、昨夜、神社で持ってた袋の中身は?」
  ほくそ笑む八郎。
八郎「見せてやってもいいけど…後悔するなよ」

○ 神社
  本殿前に立っている八郎とHと峻。
  八郎、立ち上がり、賽銭箱の下から袋を取り出している。
  唖然とするHと峻。
峻「歩けるじゃん…」
  八郎、寡黙に袋を峻の前に差し出し、
八郎「確認してみろ」
  峻、八郎から袋を受け取る。緊張した面持ちで袋の中に手を入れ、さっと中のものを取り出す。
  峻、掴んだものを見つめると、悲鳴を上げ、思わず、放り投げる。
  地面に落ちる物…転がる心臓の模型。
八郎「捨てんじゃねぇよ、馬鹿!」
  八郎、心臓の模型を拾う。
  寡黙に様子を見ているH。
八郎「これは、俺の形見なんだよ」
峻「その臓器が?」
八郎「母親の心臓をイメージして作った模型だ」
峻「本物かと思った…なんか感触まで、リアルだよ、本物触った事ないけど…」
  八郎、頬に心臓の模型を当て、
八郎「ここで、これを見ながら母さんが生きてた頃を想像して、子供の頃を思い出してたんだ…」
  呆然とする峻。

○ とある雑居ビル3F・リビング(夜)
  ソファでプリンを食べているH。
  ベランダの前に立つ峻。景色を眺めている。
峻「大切なものって人によって色々なんだな」
  H、寡黙に食べ続けている。
  振り返り、Hを見つめる峻。
峻「なぁ、Hの大切なものって何だよ?」
  H、構わず食べ続けている。
峻「やっぱ、プリン?」
  プリンを食べ終わるH。
H「あなたは?」
  峻、右手に持っている棍棒を振り回し、
峻「今のところ…これかな?」
  立ち上がるH。部屋を出て行く。
峻「どこ行くんだよ」
H「本部に報告してくる」
峻「小さい頃からプリン好きだったんだな」
  立ち止まるH。
峻「鉄女にも涙あり…」
  振り返り、峻を睨むH。
H「さっきから何言ってるの?」
峻「いや…別に…」
  峻、Hから目を逸らし、口笛を吹いている。
H「言い忘れてた事があったわ」
峻「何?」
H「今度女に釣られて、変な仕事に手を貸すような事があったら…私があなたの始末をつけるから」
峻「始末…」
  固まる峻。
  部屋を出て行くH。

○ 国道
  街灯の光を浴びながら、走行しているカスタード。

○ カスタード車内
  ハンドルを握るH。思いつめた表情。

○ Hの回想
  美智の頬を平手で叩くH。
  放心状態の美智。
  
○ カスタード車内
  悔やんだ表情を浮かべるH。

○ フラワーショップ『ザイダ』・表
  店の前に立ち止まるカスタード。
  車から降りるH。半分開いたシャッターを潜り、中に入る。

○ 同・中
  H、辺りを見つめ、唖然とする。
  店の中にあった花が全て片付けられ、なくなっている。
  棚も全て壁際に寄せられ、少し広い空間ができている。
  階段を上ってくる美智。Hに気づく。
美智「H…」
  笑みを浮かべる美智。Hの前に近づいて行く美智。
美智「どうしたの?」
H「ちょっと通りがかったから…」
美智「もう来てくれないじゃないかって心配しちゃった」
H「花は、どうしたの?」
  美智、Hから顔を背け、
美智「花屋は、今日で店じまいよ…」
H「…」
美智「新しい店を始めるんだ…」
H「新しい店?」
美智「探偵事務所開くの」
  愕然としているH。

 
                                                   ―THE END―

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