『CODENAME:H↑↓10』 「はぐれる歯」 作ガース『ガースのお部屋』

○ 坂道下
  突き当たりのガードレールの手前で止まっている黒い軽ワゴン車・カスタード。
  カスタードの後ろで向かい合う暗号名・H(木崎メイナ・24歳)と、前原 美智(23)。
  赤いスーツ姿のH、美智は、青いスーツを装着している。
美智「今日からコードネームMと呼んで」
H「目を覚まして」
美智「目を覚ますのは、Hのほうよ。何も知らないくせに…」
  美智、振り返ると、一瞬でその場から姿を消す。
  不安げに表情を曇らすH。

○ カスタード車内
  ハンドルの上にのしかかり、気絶している高部 峻(22)。

○ 峻の夢
  井戸の深い底。腰の辺りまで溜まった水の中で直立している峻。ハッと目を覚ます。
  辺りを見回し、愕然とする。
峻「おい、またかよ。何の罰ゲームだよ!」
  上から注ぎ込む光を見つめ、叫ぶ峻。
峻「おーい!誰かー!」
  上から何かが落ちてくる。峻の前に落ちる物体。
  峻、物体を拾い上げ、まじまじと見つめる。
  物体は、能面のような不気味な黒い仮面。
  黒い仮面の赤い目と口が奇妙に動き、薄気味悪い笑みを浮かべる。
  突然、水の中から黒いヘドロのようなものを被った人間たちが飛び出し、峻を取り囲む。
  黒い仮面を被っているヘドロ人間達。
  驚愕し、叫び声を上げる峻。

○ とある雑居ビル・3F・リビング
  ソファの上で横になり、眠っている峻。
  うなされ続けている。
峻「もういいから…もういいって…」
  テレビがつけっぱなしになっている。
  画面に映る鷲川総理大臣。会議場での記者会見の映像が映っている。
鷲川総理大臣の声「…今国会中に必ず実現させてみせます。国民の皆さんの気持ちを
 大事にしたい。ラストミー!」
  部屋の中に入ってくるH。
  峻の前で立ち止まる。
峻「死神野郎死ね…H…この唐辛子野郎…早く何とかしろ…」
  H、峻にでこぴんする。
峻「いてっ」
  ハッと起き上がる峻。
  H、冷蔵庫の扉を開け、中を覗きこんでいる。
  Hに気づく峻。
  冷蔵庫の扉を閉めるH。
H「死神って、誰の事?」
峻「て言うか…車に乗ってたよね、俺たち…確か走ってる途中でブレーキが効かなくなって…」
H「ちゃんと覚えていたのね」
峻「霞さんと連絡取れたか?」
H「まだよ」
峻「やっぱりな。あいつ、きっと、美智と一緒に行動してるんだ」
H「それがもし、本当なら、あなたも命を狙われる」
峻「ここも危険だ」
H「さっさとどこかに身を隠しなさい」
峻「Hは?」
H「用事がある」
  立ち上がる峻。
峻「じゃあ、俺も」
H「来ないで。足手まといになるから」
峻「…どんだけ貢献してきたと思ってるんだよ」
H「私の指示に従えないのなら、あなたとは、今日限り」
峻「…研修期間は、とっくの昔に終わったはずだろ」
  H、静かに部屋を出て行く。
  玄関の扉の閉まる音が空しく響く。
  峻、悔し紛れに奇声を張り上げる。

○ とある地下駐車場
  薄暗いエリア。車がまばらに止まっている。
  奥の墨のほうのスペースに止まる白いクラウン。

○ クラウン車内
  運転席に霞(かすみ) 良次(45)、助手席に前原 美智(23)が座っている。
  美智、私服姿になっている。
美智「本当に殺したの?」
霞「ああ」
美智「シャメは?」
  霞、面倒くさそうにスーツの中から携帯を出し、電源を入れる。ディスプレイに映る画像を美智に見せる。
  画像には、部屋でうつ伏せ状態で倒れているG5(木崎満彦・52歳)の遺体が映っている。
霞「どうだ?」
  美智、首を横に振る。
美智「もう一つ」
霞「おいおい、いい加減にしろ」
美智「私をP―BLACKの正式メンバーにして欲しいの」
霞「P―BLACKの人事権は、私にはない」
美智「あなたならやれるわ。いくらでも工作できるでしょ」
霞「Hは、幼少の頃から過酷な訓練を受け、経験を積んできた貴重な人材だ」
美智「母親を殺しといて、よくそんな事言えるわね」
霞「マイクロフィルムを渡せ」
美智「持ってきてない。さっきの条件を飲んでくれたら、即お渡しするわ」
  霞、不満げにしかめっ面を浮かべる。
霞「Hを甘く見るな。あいつがその気になったら、おまえなんか、一瞬でゴミくずだ」
美智「真っ先にゴミくずになるのは、あなたかもしれないわよ」
  美智、不敵な笑みを浮かべながら、車から降りる。
  立ち去って行く美智を目を細くして見ている霞。

○ 繁華街
  大通りを走るカスタード。

○ カスタード車内
  ハンドルを握るH。
  Hの脳裏にある場面が過ぎる。

○ Hの回想
  七年前。
  林の中を駆け抜けているH(木崎メイナ・17歳)。ジャージ姿。右手には、義手をつけている。
  高い木の枝の上に立つH。隣の大木の枝にロープを投げて、巻きつける。
  ロープにぶら下がりジャンプ。枝から枝へ飛び移るが、途中で地面に落下する。
  うつ伏せで倒れているH。暫くして起き上がる。土まみれになっている。
  潰れた義手を左手で拾い上げるH。
  H、義手を遠くへ放り投げる。
  Hの背後に迫る人影。振り返るH。
  迷彩服を着た霞が立っている。
霞「どうして義手を捨てた?」
H「飾りの腕は、いりません」
霞「片手だけで全てをこなせるのか?」
  立ち上がるH。
H「あれをつけたせいで、自分の力を過信してしまったんです。信用できるのは、
 この左手だけ。あの手は、私の心を乱すだけです」
霞「確かにあの手は、見せかけに過ぎない。何が必要で、何がそうでないか。
 それを見極める事も大事なことだ」
  霞、Hに背を向ける。
霞「だがな、必要でないと思った物にとてつもない力が隠れている事もある。
 その力をうまく利用することも大事だ」
  H、言葉の意味がわからず、困惑している。
霞「焦るな。訓練が終われば、それを思い知る時が必ず来る。母親が誰に殺されたのか…
 今は、それだけを考えて、練習を続けるんだ」

○ カスタード車内
  霞の言葉が脳内でリフレインしている。
霞の声「母親が誰に殺されたか…」
  コンソールにセットされているホルダーに差し込んでいる携帯が鳴る。
  H、携帯のボタンを押す。
  車内のスピーカーから霞の声が聞こえる。
霞の声「私だ」
  唖然とするH。

○ 空港沿い・道路
  脇道に止まっているクラウン。その後ろにカスタードが止まっている。
  二台の車の間に立ち、話をしている霞とH。
霞「次の任務だ」
H「その前に聞きたい事があります」
霞「携帯の事か?すまなかった。充電ができていなかったようだ」
H「美智と何の取り引きをしたんですか?」
霞「えっ?」
H「霞さんの過去の罪って、何の事ですか?」
霞「唐突に質問攻めとはな。誰からそんなデマを吹き込まれた?」
H「それは、言えません。母の事も聞きました。母を殺したのは、霞さんだと…」
  怒号を上げる霞。
霞「いい加減にしろ。おまえの母親を殺したのは、G5だ」
H「…」
霞「すまない。おまえの手で奴を始末させてやりたかったが…やむを得なかった…」
  H、霞の様子を窺う。
霞「やる気が失せたか?」
H「まだ遺体を確認してません」
霞「遺体は、うちの保管室に運んだ。今から見に行くか?」
H「それより、私の質問に答えてください」
霞「おまえは、仇討ちのために、今まで過酷な訓練に耐え、危険な任務をこなしてきた。
 だがG5は、この世からいなくなった。今、どんな気分だ?」
H「何も感じません」
霞「しばらく休んで、これからの事をじっくり考えてみたらどうだ?」
H「どうしてそんな事を言うんです?」
霞「生きる目的を…見失ったんじゃないかと思ってな」
H「大丈夫です。今の私以外の私は、ありえません」
霞「そうか。それを聞いて安心した…」

○ とある雑居ビル・3F・リビング
  玄関から聞こえるノック音。
  ソファに座り、ゲームに夢中になる峻。
  また、ノック音。
  峻、気にせず画面に釘付け。
  また、ノック音。
峻「うるせぇよ。入りたきゃ勝手に入れよ、ナス野郎!」
  扉が開く音。足音がこちらに迫ってくる。
  峻、突然、緊迫した表情を浮かべる。
  ゲームを止める峻。迫る足音を耳を澄まして聞いている。
  部屋に入ってくる人影。
  部屋の入口に立っている久我亜美留(21)。
亜美留「こんにちは…」
  テーブルの下に潜り込んでいる峻。亜美留に穴を向けている。
亜美留「あの…」
  峻、亜美留の顔を見つめる。
峻「あっ…」
  峻、急いでテーブルの下から出て、立ち上がり、亜美留の前に向かう。
峻「地震と勘違いしちゃった…最近多いから、ちょっとした揺れでも敏感になっちゃって…」
亜美留「ちょっと話したい事があって…」
峻「ナス野郎とか言って、ごめんね」
亜美留「別に気にしてないから…」
峻「そう言えば、君、前原美智と一緒にいたよね?自分で逃げてきたの?
 それとも解放されたの?」
亜美留「いいえ。美智さんに頼まれて、ここに来たんです」
峻「あの子、今どこにいるんだ?」
亜美留「美智さんは、あなたと会いたいそうです」
峻「俺に?」
亜美留「今夜11時、駅前の公園に来てください」
  亜美留、軽く一礼し、踵を返す。
峻「ちょっと…もっと話したいことあるんだけど」
亜美留「何ですか?」
峻「君さ、ザイダの店で、あの子と一緒に男の人を拷問してたよね…」
  唖然とする亜美留。
亜美留「どうしてそれを…」
峻「あの時、階段の影に隠れて、君たちの様子を見てたんだ」
亜美留「私は、拷問なんかしてません」
峻「そうそう、やったのは、美智だけだったね。霞さんの事、知ってるの?」
亜美留「ええ」
峻「あいつ、Hの母親を殺したって言ってたよね。君も聞いただろ?」
亜美留「Hにまだ話してないの?」
峻「話したけど、信じてくれなくて」
亜美留「あの人、Hの育ての親なんでしょ?ひどい。彼女、相当ショックを受けるよ」
峻「ショックどころか、殺しかねない。別に霞の心配をしてるわけじゃないけど、
 逆にHがあいつに始末されそうな気がして…」
亜美留「大丈夫。Hにも特別な力があるし…」
峻「Hにあの時の事、話してくれないか?」
亜美留「駄目。会うなって言われてるの」
  亜美留、足早に部屋を出て行く。
  峻、亜美留の後を追って駆け出す。

○ 同・ビル前
  階段を下りてくる亜美留。道路を歩き出す。
  暫くして、峻も階段を下りてくる。
  峻、階段の壁に身を隠し、亜美留の後ろ姿を見ている。
峻「こうなったら、俺のスパイ人生を賭けて、Hよりも早く美智を見つけ出してやる」
  峻、亜美留の後を追って、ゆっくりと歩き出す。

○ 牛丼屋
  カウンターに座るニット帽を被った男・正壁勝実(22)。
  ガツガツ、大きな音を立てながら、牛丼を平らげる。
  お茶をずるずると音を立てながら飲み上げ、叩きつけるように湯飲みを置く。
  怪訝に正壁を見ている店員。
  立ち上がる正壁。足早に店を出て行く。
店員「お客さん、お勘定!」

○ 国道沿い・歩道
  必死で走る正壁。
  追いかける店員。
  正壁、さらにピッチを上げて、店員との距離を離して行く。

○ 地下街に通じる階段
  勢い良く階段を下りる正壁。

○ 地下街
  人通りの激しい通り。
  ゆっくりと歩き出す正壁。
  人ゴミに紛れ込み、何食わぬ様子で進んでいる。

○ 同・麻雀店
  ガラスに「麻雀」と大きく書かれた店に入って行く正壁。

○ 同・店内
  薄暗い階段を下りて行く正壁。

○ 同・地下部屋
  オレンジ色の灯りが照る部屋。
  広いスペース。壁際に座り込んでいる男達。各々煙草を吸ったり、4人で麻雀を打つ集団、
  トランプする集団、新聞を読んだり、缶ビールを飲んでいる男もいる。
  男達の合間を縫って歩いている正壁。
  黒いカーテンに仕切られた奥の部屋に入って行く。

○ 同・秘密部屋
  青白い照明が部屋を照らしている。
  カウンターの前に立つ正壁。
  奥の部屋から銀髪に緑のメッシュ、ピエロのような化粧をした店の経営者の男・
  通称「トメロ」が姿をあらわす。
トメロ「いらっしゃい。あら、かっちん」
  正壁、財布からカードを抜き取り、カウンターに置く。
  イーソー牌の絵を描いたカードを見つめるトメロ。
正壁「3日ほど部屋を借りたい」
  トメロ、書類を挟んだバインダーを正壁の前に置く。
トメロ「必要事項を書き込んで、前金でお願いね。今度は、何やったの?」
正壁「前金?システム変わったのか?」
トメロ「3ヶ月前から前金を頂く事になったの。とんずらこく輩が多くて…」
  正壁、書類をまじまじと見つめ、
正壁「料金のシステムも変わったのか?」
トメロ「犯罪の内容に応じて清算する制度にね」
正壁「犯罪の内容まで事細かく書かなきゃいけないのかよ。前は、二泊三日で一律1万円だったのに」
トメロ「不況なのよ、この業界も」
正壁「面倒くせぇな…」
  憮然とした表情で書類を書き込む正壁。
正壁「なぁ、トメロ。おまえ、差し歯落とした事あるか?」
トメロ「差し歯ね…わたしそんなもの入れた事ないもの。虫歯一本もないの」
正壁「俺も虫歯の治療は、やったことあるけど…差し歯はな…」
トメロ「差し歯がどうかしたの?」
正壁「いや、別に…」
トメロ「あの五百万、結局どうにもならなかったの?」
正壁「見つかってたら、こんなところに来るかよ」
トメロ「それにしてもついてないわね。去年は、万引きやって捕まりかけたし、その前は、
 盗難車で事故って、トランクに積んでた盗品全て警察に持っていかれたし、半年前の郵便局強盗の時は、
 盗んだ直後にドブ川に札束を落っことして…」
正壁「またそれ言うか。潰れたバッグを使ったのと逃走経路が悪かったんだよ。
 ブルーになるから二度と言うな」
  書き込みが終わる。バインダーをトメロに渡す。
  書類を確認する男。
トメロ「一昨日の晩に金券ショップを襲ったの。盗品は、コンサートチケットに、高速バスの回数券、
 レジのお金8万2000円…今度もケチ臭いわね」
正壁「正直に書いたのに、なんだ、その言い草は?」
トメロ「いいわ。かっちんだから30%オフにしてあげる。他の人には、秘密よ」
正壁「サンキュー」
  正壁、万札を置く。
トメロ「イーソー部屋に案内するわ」
  不敵な笑みを浮かべるトメロ。

○ 同・地下部屋
  男達の合間を縫って歩いている美智。
  パーカーとジーンズを着ている。眼鏡をかけ、地味な姿を装っている。
  男達の視線が一斉に美智のほうに向く。
  
○ 同・秘密部屋
  カウンターの前に立つ美智。
  奥からトメロが出てくる。
  トメロ、美智の姿を見つめ、呆然とする。
トメロ「珍しいわね…女性のお客様は、8ヶ月ぶりぐらいかも…誰から聞いたの?この店の事…」
美智「正壁勝実って男、いるでしょ?」
トメロ「うちに来る客は、偽名を使っている人がたくさんいるからよくわからないわね」
美智「嘘をついても無駄よ。彼から聞いたんだから」
  トメロを美智を嘗め回すように見ている。
  右腕のアームシェイドを不思議そうに見つめる。
トメロ「その人とは、どう言うご関係?」
美智「一昨日の金券ショップ強盗の仲間」
トメロ「あら、新聞には、犯人は、男だけって書いてあったけど…」
美智「そんな嘘信じてるの?」
  美智、ポシェットバックから、高速バスの回数券を出す。
美智「彼もこれと同じものを持っていたはずよ。一緒に北へ逃げるつもりだったの」
  回数券を見つめるトメロ。
トメロ「お名前は?」
美智「高倉真樹」
トメロ「ちょっと待ってて」
  奥の部屋に引っ込むトメロ。

○ 同・イーソー部屋
  2畳半程の薄暗い部屋。畳の上で寝転がり、小説を読んでいる正壁。
  突然、扉が開く。
トメロ「ちょっと…」
  慌てて、起き上がる正壁。
正壁「ノックぐらいしろよ。あっ、ピザ持ってきてくれ」
トメロ「あんた女いるの?」
正壁「女?」
トメロ「たかくらまきって子が来てるの」
正壁「誰?」
トメロ「あんたが盗んだのと同じ回数券持ってたけど…本当に心当たりない?」
正壁「しらねえって。さっさと追い返せよ」
  トメロ、電気ショックを浴びて、気を失う。前のめりに倒れ込む。
  部屋の中に入ってくる美智。
正壁「誰だおまえ…」
美智「何もしないから安心して。この店にあなたがいることも誰にも言わない。
 私の質問に正直に答えてくれたら…」
  美智、ポシェットから携帯を出し、ディスプレイにある画像を映し、正壁に見せる。
  角刈り、サングラス、30代ぐらいの男の写真が映っている。
美智「わかる?」
正壁「菱根…」
美智「そう、菱根誠。半年前、この男と郵便局を襲って、五百万円を奪ったよね?」
正壁「…ポリか?」
美智「違う。この人、ある組織と契約を結んでる殺し屋なの。すでに前歴があって、
 大手企業やネット企業の幹部を殺してる」
正壁「去年まで郵便局員をやってたって本人から聞いたぞ。輸送スケジュールを
 知ってたのも計画を練ったのもこいつだ」
美智「あなた達が強盗事件を起こした日も、その近くで広告会社の重役が撃たれて殺された。
 強盗事件は、カモフラージュだった可能性がある」
正壁「俺には、頭のキレる頼れるおっさんぐらいにしか見えなかったけど」
美智「菱根、どこにいるの?」
正壁「さぁな…」
美智「ふーん。そんなに檻の中に入りたいんだ」
  焦る正壁。
正壁「俺を警察に引き渡すってか。マジでそれだけは、勘弁…」
  美智、突然、正壁の腹を殴る。
  気絶する正壁。
  美智、正壁を肩に乗せ、部屋を出て行く。

○ 美容院前
  店の向かい側の駐車場の壁に身を隠している峻。
  スーツのポケットから携帯を出し、時間を確認する。
峻「もう一時間か…ったく」
  店から出てくる亜美留。
  髪をショートにし、綺麗に茶色に染め直している。
  歩道を歩き出す亜美留。
  後を追う峻。

○ 国道
  片道二車線の道路。
  黄色のタクシーが走行している。

○ タクシー車内
  後部席に座る亜美留。
  着信音が鳴る。電話に出る。
亜美留「はい」
美智の声「どう?」
亜美留「会った。ちゃんと話したから」
美智の声「今どこにいるの?」
亜美留「あそこに戻るところ」

○ 車工場跡地
  鬱蒼とした木々に囲まれた場所にぽっつりと立つ古びた工場。
  砂利道をゆっくりと走るタクシー。工場のそばに立ち止まる。
  タクシーから降りる亜美留。工場の中に入って行く。
  暫くして、別のタクシーがやってくる。
  工場から離れた場所に立ち止まるタクシー。
  タクシーの後部席から降りる峻。
  辺りを見回す峻。
峻「よくこんな寂しい場所に1人で来れるよな…」
  倉庫の入口に静かに近づいて行く峻。

○ 同・工場内
  中を覗く峻。
  廃材や大量の機械部品の残骸が辺りに散乱している。
  ライン作業用の機械の一部が残り、その奥にドラム缶やタイヤが無造作に置かれている。
峻「お化け屋敷のほうがマシだな…」
  峻、低い姿勢になり、進んで行く。
  ドラム缶の影に身を隠す。
  頭をゆっくりと上げ、奥にいる亜美留の様子を窺う。
  亜美留、パイプ椅子に座り、パクパク何かを食べている。頭を下げた姿勢で、地面をずっと気にしている様子。
  亜美留の後ろ姿を怪訝に見つめている峻。
  峻の携帯の着信音が大きく鳴る。
  着信音に気づき、振り返る亜美留。
  峻、慌てて身を隠し、着信音を止める。
峻「(小声で)クソッ…こんな初歩的なミス…スパイ失格…」
  峻、携帯のディスプレイのナンバーを確認する。「H」と言う文字が表示されている。ため息をつく峻。
峻「疫病神め…」
亜美留「誰かいるの?」
  困惑する峻。
  亜美留、そばに落ちている鉄の棒を拾い上げ、ドラム缶の方に放り投げる。
  棒は、ドラム缶に当たり、峻の足元に落ちる。
  峻、思わず声を上げる。
峻「あぶねぇ!」
亜美留「誰?」
  立ち上がる峻。
亜美留「高部さん…」
峻「どうしても美智の居場所を知りたくてさ…」
  亜美留のそばに近づく峻。
亜美留「ずっと私をつけてたんですか?全然気づかなかった」
峻「エー本当に?」
  ニヤける峻。
  亜美留、手に持っているカステラを峻に差し出す。
亜美留「これ、食べます?」
峻「いいの?」
  峻、カステラを受け取る。
亜美留「前原さん、もうすぐ戻ってくると思う」
峻「ちょうど良かった。色々聞きたい事があるし」
  カステラを食べた途端、苦痛を浮かべる峻。右頬を押さえる。
  亜美留の前に立つ峻。
亜美留「どうしたの?」
峻「奥歯に虫歯があるみたい。ピキーンってきちゃった」
  亜美留の後ろに黒いものが見える。
  黒いものの前に向かう峻。それは、黒い棺である。
峻「なんで棺が?」
亜美留「美智さんがここに置いたんです」
峻「誰か入ってるの?」
亜美留「監視を頼まれただけだから…」

○ 麻雀店・秘密部屋
  黒いカーテンを潜り入ってくる女。
  奥の部屋から、トメロが姿をあらわす。
  トメロ、女を見つめ、呆然とする。
  女は、H。赤いスーツ姿。
  苦笑いするトメロ。
トメロ「また女…今日は、どうなってんのかしら」
H「人を探してるの」
トメロ「みょうちくりんなコスプレしちゃって…あんたみたいな子が来る場所じゃないのよ、ここは」
H「この店が犯罪者を匿う宿泊施設だって事は知ってる。警察は、知らないようだけど…」
トメロ「警察関係者もご用達なのよ、ここ。単純じゃないのよ、この世界は」
  トメロ、突然、カウンターの下に置いてあるナイフを持ち、Hに襲い掛かる。
  H、トメロが振り回すナイフを素早く、避け、一瞬でトメロの背後に回り込む。
  トメロの手首を捻るH。痛々しい声を上げ、ナイフを落とすトメロ。
H「女が嫌いなの?」
トメロ「相性が悪いのよ。おまけに質悪いし」
H「正壁はどこ?」
トメロ「かっちんに何の用よ…」
H「部屋に案内して」
トメロ「やーだぷーん」
  H、さらに手首を捻り上げる。
トメロ「女がどこかに連れて行ったわ、二時間ぐらい前に…」
H「女って誰?」
トメロ「たかくらまきって子よ。急に後ろから電気ショック与えてくるんだもの。
 私、一時間ぐらい気絶してたのよ」
H「その女と正壁は、どう言う関係?」
トメロ「金券ショップを襲った時の仲間だって言ってたわ…」
  怪訝な表情を浮かべるH。

○ 車工場跡地・工場内
  峻、カステラを食べながら、棺をちらちら見ている。
峻「まだ打ちつけられていないみたいだな」
  峻、屈んで、棺の蓋に手をかける。
亜美留「駄目よ」
峻「いいからいいから」
  棺桶の蓋を開ける峻。
  中を覗き、驚愕する。
  棺の中にG5の遺体が入っている。
  半面焼け爛れたG5の顔を気味悪そうに見つめる峻。
峻「妖怪?」
  遠くから男の声が響く。
男の声「Hの父親だ…」
  振り返る峻と亜美留。
  男は、霞である。
峻「なんであんたがここに?」
霞「おまえこそ、なぜここにいる?」
峻「確認したいことがあって来たんですよ」
霞「Hの命令か?」
峻「Hは、関係ないです。個人的に動いてるんです」
霞「いつからそんなに偉くなったんだ?スパイ候補生」
峻「Hを裏切って、前原美智と組むつもりですか?」
  失笑する霞。
霞「Hにデマを吹いたのは、おまえだったのか」
峻「あんたがザイダで美智に拷問を受けているところを目撃したんですよ」
霞「なるほど。Hがやたら俺を疑う理由がやっとわかった」
峻「Hと会ったのか?」
霞「ああ。あいつは、新しい任務についた」
峻「じゃあ、まだHは、何も知らないのか」
  霞、スーツの中のホルダーから短銃を抜き、銃口を峻に向ける。
峻「これで二度目ですね。俺に銃を向けたの」
霞「いいや、三度目だ」
峻「えっ、三度目?」
  指を立てて数えている峻。
峻「あっ、ガソリンスタンドで気絶した時のあれ、あんただったのか」
霞「あの時は、麻酔弾だったが、今日は、普通の弾だ」
峻「俺を殺した後、Hも殺す気か?」
霞「死ぬのは、おまえだけだ」
峻「うそぉ?」
霞「あいつを育てたのは、俺だ。そう簡単にあいつの代わりは、作れない。
 おまえが死ねば、全て丸く収まる」
峻「冗談でしょ?俺を殺したら、Hが黙ってないよ」
霞「Hに気づかれないように、完全に遺体を処理してやるから安心しろ」
峻「そんなしゃれにもなんないグロい冗談やめて欲しいな…」
霞「お前みたいな単細胞にこの仕事は、勤まらん。最初に会った時にそう忠告してやったはずだ。
 今更後悔してももう遅い」
亜美留「やめてください!」
峻「そうだよ。やめろよ」
霞「あの世で吠えてろ」
  霞が引き金を引こうとした瞬間、突然、飛んできたワイヤーのフックが霞の手に当たる。
  銃を落とす霞。
  霞、振り返り、後ろを見る。
  青いスーツ姿の美智が立っている。
美智「死体は、もう必要ないわ、霞さん」
霞「あいつを始末しないと、俺の立場がやばくなる」
美智「Hにばれなきゃいいだけの話でしょ。大丈夫。Hは、私が必ずしとめるから」
  美智、霞のそばを横切り、峻達の前に歩み寄る。
峻「Hをしとめるだって?親友じゃなかったのか?」
美智「もう昔の話」
峻「Hは、ずっと心配してるんだぞ」
美智「自分の立場の心配?」
峻「そうじゃない。君の事だよ」
美智「私は、これからスパイとして生きて行くの」
峻「あいつは、Hを手放す気はないみたいだけど」
  美智、振り返り、霞を睨み付ける。
  顔を背ける霞。
美智「例の男、見つけた」
霞「正壁を見つけたのか?」
美智「Hより私のほうが有能だって事がこれでよくわかったでしょ?」
霞「Hより先におまえに任務の内容を教えてやったんだ。当然だ」
美智「ふーん。つまりハンディをくれたってわけ?人殺しの癖に優しい気遣いするのね」
霞「どこにいる?」
美智「教えなーい」
霞「正壁は、菱見に関する重要な情報を握っているんだ」
美智「じゃあ、今すぐ答えを聞かせて」
  困惑する霞。

○ 住宅街
  交差点を勢い良く曲がるカスタード。

○ カスタード車内
  ハンドルを握るH。助手席に座るトメロ。
トメロ「私があそこを離れたら、あいつらにまたとんずらされるわ」
H「…」
トメロ「ほっといたら勝手好き放題しまくる連中なんだから。店が無茶苦茶になってたら、
 あんたに損害賠償請求するからね」
H「調べが終わったら、すぐに解放してあげる」
トメロ「あんた何様なのよ、もうほんと今日は、ベリーローテンションだわ。アーもう腹立つ」

○ マンション1F・通路
  トメロを先頭にして歩くH。
トメロ「あんた、そんなコスプレしながら歩いてはずかしくないの?」
H「そのピエロメイクのほうが恥ずかしいわ」
トメロ「これは、私のチャームポイントなの。失礼な女」
  103号室の前に立つ二人。
トメロ「ここよ」
  H、ドアノブを回す。鍵が閉まっている。
トメロ「かっちんが部屋を借りてたのは、半年前よ。一度だけご飯を食べに来たことがあるの。
 今は、もう別の人が住んでるかもしれないわね」
  H、ドアを蹴る。ドアに大きな穴が空く。
  驚愕するトメロ。
  H、穴を潜り、部屋の中に入って行く。

○ 同・103号室・リビング
  何も置かれていない空間。
  部屋の真ん中に立つH。サングラス(イーバイザー)をかけ、辺りを見回している。

○ イーバイザーの視点
  足跡モードの画面。
  リビングの床についた足跡が光って見える。
  運動靴の足跡が床一面あちらこちらについている。

○ マンション103号室・リビング
  イーバイザーをはずすH。
  トメロが中に入ってくる。
トメロ「ほらね。誰もいないでしょ」
  H、襖を開け、隣の部屋に入る。

○ 同・隣の部屋
  6畳ほどの和室。
  イーバイザーをかけ、周りを調べるH。
  畳の隙間に何かが挟まっているのに気づくH。
  イーバイザーをはずすH。
  畳の隙間に挟まっているものを引き抜く。
  挟まっていたものは、「差し歯」。
  トメロも部屋に入ってくる。
トメロ「あら、それ、差し歯?」
H「誰かが何度も出入りしている。同じ運動靴の足跡ばかり。最近ついたものもいくつかある」
  押入れを開けるH。
  中に入り、天井板を殴り割る。
  天井部の隙間に右手を入れ、何かの物体を掴み出すH。
  物体は、小型の四角いアルミ部品。
トメロ「何よ、それ?」
H「自動煙幕装置の部品の一部」
トメロ「かっちんは、そんなもんを作る知識なんて持ってないわ」
H「半年前、菱根もここに隠れてた」
トメロ「やだわ…男同士で…じゃあ、菱根がこれを作ったのね」
H「あの時も、あなたが二人を匿ったの?」
トメロ「そうよ。かっちんは、中学時代からの悪仲間だからね。色々借りがあるのよ。
 悪人同士が助け合っちゃ駄目なの?」
H「ワルの中にもワルがいる。菱根は、スナイパーよ。政府の関係者を狙っている」
トメロ「じゃあ、かっちんもそれに関わってるって言うの?」
H「それはまだわからない」
トメロ「そう言えば、かっちん、うちの店に来た時、差し歯を落としたとか言ってたわ。
 でも変ね…かっちんは、差し歯を入れた事がないとも言ってた…」
  H、差し歯をまじまじと見ている。
  トメロ、Hが右腕につけているアームシェイドを見つめ、
トメロ「ねぇ、それ最近流行りのアクセサリー?」
H「アクセサリー?」
  トメロ、アームシェイドを指差し、
トメロ「それよ、それ。かっちんを訪ねて来た女もそれと色違いのやつをつけていたわ」
  愕然とするH。

○ 車工場跡地・工場内
  パイプ椅子に縛り付けられている峻。
  峻から少し離れた場所で話をしている美智と亜美留。
美智「この人逃がしたら、あんたも棺の中に入ることになるから」
亜美留「高部さんをどうするつもりなの?」
  美智、峻の携帯を亜美留に手渡す。
美智「Hから連絡が来たら、(峻のほうを見つめ)喋らせて。そうすれば、Hは、必ずここに来る」
亜美留「Hを殺すの?」
  美智、寡黙に立ち去る。
  峻の前に行く亜美留。
峻「俺って、結局こう言う具合なんだよね、いつも…」
亜美留「どうして、スパイの見習いになったの?」
峻「もちろん、憧れだよ最初は。でも、今日やっとわかったよ。命を賭けてやる程の仕事じゃないって…」
亜美留「もしかして、スパイにじゃなくて、Hに憧れたんじゃない?」
  動揺する峻。
峻「…007、007だよ。でも、007みたいに武器も最新メカ搭載のマシーンもなくて、がっくりしたんだよ」
亜美留「そうかな。私には、美智もあなたも同じように見えるわ。どっちもHに憧れているのよ」
峻「その話は、もういいって。それより、美智のやつ、どこに行った?」
亜美留「それは、言えない…」
  峻の携帯の着信音が鳴る。
  携帯のディスプレイを確認する亜美留。
亜美留「(ディスプレイに表示されている番号を見せ)これ、Hの番号?」
峻「そうだけど…」
  亜美留、通話ボタンを押し、峻の耳元に携帯を当てる。
亜美留「電話に出て」
  怪訝な表情を浮かべる峻。

○ マンション前
  マンションの前に止まるカスタード。
  カスタードのそばに立ち、携帯をかけているH。
H「…どうしてさっき出なかったの?」
峻の声「あーっと、そのー、電車の中だったから…」
H「手伝って欲しい事があるの」

○ 車工場跡地・工場内
  嘘を語り始める峻。
峻「今、美智の居所を調べてるんだ」
Hの声「どう言うつもり?」
峻「じっとしてられなくてさ。気づいたら、足が勝手に…」
Hの声「すぐ私のところに来て」
峻「悪いけど、俺1人で探す」
Hの声「私の命令が聞けないなら…」
峻「クビにされても、美智は、探し続けるぞ」
  電話が切れる。
  峻、ため息をつき、肩を落とす。
  亜美留、峻の様子を窺い、
亜美留「どうして、捕まってること、Hに教えなかったの?」
峻「一応俺もスパイの端くれだ。これが罠だって事ぐらい、簡単にわかったさ」
亜美留「…」
  峻、自分に酔いしれ笑みを浮かべる。

○ 森の中
  雑木が茂る寂しげな場所。
  ドラム缶があちらこちらに転がっている。
  並んで歩いている美智と霞。
  あるドラム缶の前に立ち止まる。
  美智、ドラム缶の蓋を開ける。
  縛られた正壁が中に入っている。
  意識を失っている正壁。
  ドラム缶の中を覗き込む霞。
霞「死んでるんじゃないか?」
  美智、ドラム缶を蹴り倒し、中から正壁を引き摺り出す。
  正壁の頬をつねる美智。
  目を覚まし、たまらず声を上げる正壁。
美智「生き生きしてるわ」
霞「おまえに聞きたいことがある」
  霞を見つめる正壁。
正壁「何だよ、おめぇ」
霞「菱根誠は、どこにいる?」
正壁「だからしらねぇって」
  美智、右手で正壁の耳をつまみ、力一杯引っ張る。
  奇声を上げる正壁。
美智「菱根は、どこにいるの?」
  美智、アームシェイドのボタンを操作する。美智の右手から強めの電気が流れ、正壁の全身に届く。
  ショックを受け、奇声を上げる正壁。
正壁「あー、もう勘弁…」
霞「もう一度聞く。菱根の居所を知ってるな?」
  また、正壁の体に電気が流れる。たまらず頷く正壁。
正壁「今日の夕方4時に、木原駅で待ち合わせしてる…」
美智「早く言えば良かったのに…」
  正壁の顎を鷲掴みし、立ち上がらせる美智。
  霞の携帯が鳴る。電話に出る霞。

○ マンション前
  立ち止まるカスタード。

○ カスタード車内
  運転席に座り、携帯で話しているH。
H「コードM3048DFについて報告します」
霞の声「正壁を見つけたのか?」
H「いいえ。正壁は、美智に拉致された可能性があります」

○ 森の中
  霞、美智に視線を送る。
  美智、神妙な面持ち。
Hの声「正壁の友人の証言です。アームシェイドを見たと言ってます」
霞「何者だ?」
Hの声「それは、後でまた報告します。私は、今から美智を探します」
霞「待て、H。おまえに渡したい物がある。木原駅のホームに来てくれ」
  唖然とする美智。
Hの声「わかりました」
  電話が切れる。
美智「どう言うつもり?」
霞「おまえ、P―BLACKのメンバーになりたいって言ったな?」
美智「ええ」
霞「菱根を先に見つけたほうを新たなメンバーにする」
  薄笑いを浮かべる美智。
霞「負けたほうには、即刻スパイをやめ、P―BLACKの安全保証部の部屋で一年間
 拘留生活を送ってもらう。いいな?」
美智「面白いわね…」

○ 木原駅
  ホームに立つ私服姿のH。
  立ち止まる8両編成の特急電車。
  電車のドアが一斉に開き、乗客が乗降する。
  Hの前を横切る人々。
  H、目の前に止まる3両目の車両を見つめる。
  車内に私服姿の美智が立っている。
  美智、Hを見つめ、ほくそ笑む。
  唖然とするH。

○ 特急電車・三両目車両内
  車両に乗り込んでくるH。美智と対峙する。
美智「こんなところで何してるの?」
H「あなたこそなんでここに?」
美智「今仕事中なの」
H「仕事?」
  美智、車両の後ろのシートに座っている正壁を見つめる。
  美智の視線の方向を見つめるH。
H「やはり、正壁を連れていたのは、あなたなのね」
美智「もうすぐ、菱根があらわれる。正壁とこの電車の中で会う約束をしているの」
  電車のドアが閉まり、動き始める。
H「霞さんがあなたにコードM3048DFの情報を流したのね?」
美智「菱根を先に見つけたほうがスパイとして生き残る」
H「あなたとは、戦いたくない」
美智「ここにいる乗客を巻き込むことになるけど…いいの?」
  困惑するH。
美智「来て」
  美智、二両目の車両に向かって走り出す。
  H、なくなく美智の後を追う。

○ 同・二両目車両内
  美智、右側の窓を開け、外に出る。
  Hも窓から身を乗り出す。

○ 同・二両目車両・屋根上
  時速80キロで走る電車。
  屋根の上に立ち、向かい合うHと美智。
  二人の体が同時に発光する。互いにスーツ姿になる。
H「こんなことして、何になるの?」
美智「昔の私ならこんなことは、望まなかった。でも今は、違う」
H「私を蹴落としてまでスパイになりたい理由は、何?」
美智「霞さんは、あなたを絶対手放さない。あなたに負い目があるから」
H「負い目?」
美智「Hの母親を殺したのは、霞さんよ」
  愕然とするH。
美智「Hの母親と霞さんは、不倫関係だったの。彼女は、P―BLACKの重要機密の一部を
 知ってしまい、口封じされたの。私の父もそれが原因で、霞さんに殺された」
H「霞さんをどうする気?」
美智「もちろん消すつもり。でも、その前にやらなきゃいけないことがある」
H「…」
美智「霞さんは、私が殺る。あなたは、スパイをやめて、身を隠して」
H「美智…」
美智「これが私の答えよ」
  動揺するH。
H「…霞さんは…殺せない」
  愕然とする美智。
美智「H…」
H「霞さんを消したら、私も消えてしまう…」
美智「じゃあやるしかないわね…私達…」
  互いに険しい顔つきになる二人。走り出し取っ組み合う。
  美智、回し蹴り、ハイキック。H、アームシェイドを盾にし、受け止め、
  そのまま、エルボーで美智を吹き飛ばす。
  美智、倒れてすかさず、アームシェイドのワイヤーを発射する。ワイヤーは、Hの首に絡まり、きつく締まる。
  H、アームシェイドの翼を広げ、翼の先端についている刃でワイヤーを切り落とす。
  立ち上がる美智。
  H、高く飛び上がり、美智の腹にキック。
  美智、Hの突き出た右足を両手で掴み、ジャイアントスイング。自分の体を回転させ、
  Hの体を空中で振り回し、そのまま投げ捨て。
  電車の屋根に叩きつけられるH。

○ 同・三両目車両内
  シートに座っている正壁。
  ジロジロと辺りを見回している。
  正壁の向かい側のシートに座る禿げた髭面の老人(霞が変装)。老人、正壁を見つめている。
  正壁の前に何者かが近づいてくる。
  正壁の隣に座る男。男は、トメロ。
トメロ「(小声で)かっちん!」
正壁「おまえ…なんでここに?」
トメロ「次の駅で降りるわよ」
正壁「やべぇよ。早く消えろ」
トメロ「どうしてよ。せっかく助けに来てあげたのに…」
  正壁、携帯の時計を見つめる。時間は、「15:59」を表示している。
正壁「おまえがいたら、取り返しのつかないことになるんだよ。早く消えろ」
トメロ「何のことだか、わかんないわよ。ちゃんと説明してよ」
  四両目の車両から角刈りにサングラス、黒いスーツを着た男がやってくる。
  男、正壁の前を通り過ぎる。扉の前に立ち、正壁の様子を窺っている。
  男は、菱根誠(33)。
  トメロに気づく菱根。
  
○ 同・二両目車両・屋根上
  美智、アームシェイドの銃口をHに向け、弾丸を連射する。
  H、素早く寝返りをうち、弾を避け、一瞬で飛び上がる。
  美智の背後に回り込み、アームシェイドのマシンガンを連射する。
  美智の背中で弾丸が炸裂し、激しく火を吹く。
  美智、倒れると見せかけて、振り返り、Hに向かってワイヤーを発射。
  Hの体と両腕をワイヤーで縛り上げる。
  身動きがとれず、たじろぐH。
  不敵な笑みを浮かべる美智。
美智「私は、過去を捨てた。あなたも過去を捨てて、別の道を歩むべきよ」
  Hの前に近づいて行く。
H「過去を捨てたのなら、復讐なんてくだらない事やめなさい」
美智「復讐のために人生を無駄にして、無実の父親まで失くした人に言われたくないわ…」
  H、前方を見つめる。まもなくトンネルに差し掛かろうとしている。
H「だから忠告してるの」
美智「私は、Hより進化したスパイになるわ」
  電車がトンネルに入る。
  暗闇に包まれる二人。

○ 同・三両目車両内
  寄り付くトメロを振り払う正壁。
  立ち上がり、ドアの方に向かう。
  菱根の隣に立つ正壁。
  菱根と目を合わし、驚愕する正壁。
  トメロが正壁と菱根の間に割り込む。
トメロ「どうして逃げるのよ。菱根はね、政府の人を狙ってるの。私の言う事聞かないと、
 また痛い目に…」
菱根「おまえ、あの店のオーナーだったな、確か…」
  菱根の低い声を聞き、固まるトメロ。
  ゆっくりと振り返り、菱根と顔を合わす。
  苦笑いするトメロ。
トメロ「あら…ひねちゃん…」
  菱根、上着のポケットに入っている短銃の銃口をトメロに向ける。
菱根「マサ、あれ見つかったか?」
正壁「いろんな場所探したけど、見つからなかった…」
菱根「期限は、今日までだって言ったよな」
正壁「…」
  三人の前に歩み寄る人影。私服姿のHである。
  菱根、Hを睨み付ける。
H「あんたが探してるのは、これでしょ?」
  H、左手に持っている差し歯を菱根に見せる。
H「この歯の中にマイクロチップが仕込んであった。データを読んだわ。あなたが今までに殺した人物達の
 情報と、これからの暗殺リストもあったわ」
正壁「それ…どこにあった?」
トメロ「あんたが借りてたマンションの部屋よ」
正壁「あそこ、何度も探したのに…」
H「やはり、部屋に出入りしてたのは、あなただったのね」
正壁「(菱根を睨み付け)たまたま、三週間位前に偶然会って、久しぶりに店で酒を飲んだんだ。
 その帰りにあの部屋に立ち寄ったら、まだ空き家のままだったから、勝手に上がり込んで、
 その日は、二人でそこで眠った。数日して菱根から、差し歯を失くしたから探せって連絡があった。
 見つけたら金をくれるって言うから…」
H「差し歯をなくしたから、10日前にやるはずだった暗殺計画が実行できなかったのね」
  菱根、トメロを羽交い絞めし、頬に短銃の銃口を押し当ている。
  悲鳴を上げるトメロ。
菱根「さっさとその歯を渡せ」
  立ち止まる電車。
  H、差し歯を菱根に手渡す。
  扉が開く。
  菱根、トメロを連れたまま、電車から降りる。

○ 駅・ホーム
  乗降している乗客に紛れ込む菱根。
  トメロを押し退け、人ごみの中を駆ける。
  足早に階段を駆け降りて行く。
  後を追うH。
  正壁、トメロの元に駆け寄る。
正壁「おい、大丈夫か?」
トメロ「怖かった…こんな経験初めてよ」
正壁「嘘つけ」
  トメロ、正壁の腕にしがみき、猫なで声を上げる。

○ 電車・二両目車両・屋根上
  うつ伏せで倒れている美智。
  気を失い、微動だにしない。

○ 国道
  雑居ビルが横並びする通り。
  片側三車線の大通り。車がひしめき合う。
  シルバーの電気自動車がイベントホールのあるビルの隣の駐車場に入る。
  車から降りる保新党国会議員・大谷直義(65)。
  ホールの管理者、数人の従業員達が大谷を出迎え、玄関口に集まっている。
  SPと秘書数人が大谷の周りを囲み、辺りを注視している。
  イベントホールの向かい側にそびえ建つ9階建ての商社ビルの屋上に人影が見える。

○ 商社ビル・屋上
  スコープつきのライフルを構えている菱根。スコープを覗き照準を合わせている。
Hの声「なんとか間に合ったみたいね」
  Hを見つめる菱根。
菱根「おまえ…」
  Hが立っている。
H「差し歯の中に発信装置を仕込ませてもらったわ」
菱根「邪魔をするな」
H「あの国会議員…リストに名前がなかったのに、なぜ狙うの?」
菱根「この国は、病んでる。やり方が気に食わん。どいつもこいつもふざけてやがる」
H「要するに、今日は、個人的な仕事ってこと?」
菱根「ターゲットは、誰でもいい。病巣を根こそぎ狩りとってやる」
  静観するH。
  菱根、何度もHをちら見し、
菱根「何してる?」
H「早くやりなさい」
菱根「はっ?」
H「今時珍しいわ。あなたみたいな存在は、貴重よ。さぁ、早く」
  菱根、ムスッとした表情で、またスコープを覗き込む。
  H、立ったまま微動だにしない。
  菱根、躊躇し、
菱根「そこにいられると気が散る」
H「女1人いるだけで集中力が欠けるなんて。それでもプロなの?」
  Hを睨み付ける菱根。
菱根「こう言うのはな、1人で黙々とやるもんなんだよ」
H「わかった。じゃあ、消えるわ」
  一瞬でその場から姿を消すH。
  辺りを見回す菱根。
菱根「変な女…」
  菱根、気を取り直し、スコープを覗き込む。

○ スコープの視点
  ビルの玄関のまわりにいた人々が皆いなくなっている。大谷の姿も消えている。

○ 商社ビル・屋上
  スコープから目を離す菱根。
菱根「クソ、あの女、時間稼ぎしやがったな」
  アームシェイドの銃口が菱根の側頭部に向けられている。
Hの声「銃から手を離して両腕を上げなさい」
  菱根、ライフルから手を離し、ゆっくりと両腕を上げる。
  菱根のそばに立っているH。
H「意外とズブね」
菱根「おまえ公安か?」
H「想像に任せる」

○ クラウン車内
  助手席で眠っている美智。
  運転席に座り、携帯で話している霞。
霞「そうか…お疲れだった」

○ 商社ビル・屋上
  ワイヤーで体を縛られ、座っている菱根。
  その横でHが携帯で話している。
  H、険しい顔つき。
H「霞さん…後で話したい事があります」

○ クラウン車内
霞「わかった。二時間後に例の場所で…」
  電話を切る霞。
  目を覚ます美智。呆然としている。
霞「おはよう」
  霞と顔を合わす美智。
美智「私…Hと…」
霞「どうやら、勝負は決まったようだな」
美智「Hは?」
霞「菱根を拘束した」
  落胆する美智。
美智「…あともうちょっとだったのに」
霞「アームシェイドをはずせ」
美智「そんな条件、飲んだ覚えないわ」
霞「おまえのスパイ講習は、終了だ。一般人に殺人兵器を携帯させ続けるわけには、いかないからな」
美智「アームシェイドは、G5が私のために作ったものなんだから…」
霞「じゃあ、G5に返すんだな」
美智「何言ってるの?G5は、もう…」
  美智、不安げな表情を浮かべ、
美智「もしかして…あなた…」
  不敵な笑みを浮かべる霞。
  美智、アームシェイドの銃口を霞に向け、弾丸を発射しようとするが弾が出ない。
  焦る美智。必死でボタンを操作している。
  霞、アームシェイドの電源回路のチップを美智に見せつける。
  左手に短銃を構えている。
霞「そいつは、もう動かない。このチップを差し込まない限り…」
美智「このクズ…」
  チップをしまい、エンジンをかける霞。

○ 走り出すクラウン
  コンビニの駐車場を出て、一般道を走り出す。

○ クラウン車内
  ハンドルを握る霞。
美智「Hは、あなたを殺せないって言ったわ。良かったわね」
霞「…」
美智「あなたの命を賭けて、私と戦ったのよ」
霞「…」
美智「Hって、結構馬鹿だったのね」
霞「あいつは、馬鹿じゃない」
美智「自分の母親を殺した男を守るなんて…どうかしてる」
霞「…」
美智「またね、霞さん…」
  美智、突然、ドアを開け、外に飛び出す。

○ 車道
  アスファルトの上に落下し、激しく転がる美智。その時、左腕を打つ。
  左腕を押さえる美智。苦痛に耐えながら、民家の間の細い道を走り去って行く。
  急ブレーキをかけ、立ち止まるクラウン。
  車から降り、辺りを見回す霞。
  美智の姿は、消えている。
  呆然と突っ立ってる霞。

○ 車工場跡地・工場内(夜)
  パイプ椅子に座り、縛られた状態で眠る峻。
峻「死神…疫病神…H…」
  峻の背後に近づく亜美留。
  亜美留、峻の鼻をつまむ。
  峻、暫くして目を覚ます。
  峻のロープを解き始める亜美留。振り返る峻。
峻「何してるの?」
亜美留「さっき、美智さんから連絡があったんです。あなたを解放しろって」
峻「美智が…」
亜美留「なんか、苦しそうな声だった。どこか具合でも悪いのかしら…」
峻「戻ってくるのか?」
亜美留「とにかくここから離れろって言ってました」
峻「Hのことなんか言ってた?」
亜美留「何も…ああ、そう言えば、一言だけ…Hは、馬鹿だって…」
峻「…」
  ロープを解き終わる。立ち上がる峻。
峻「ったく。こんな山奥から、どうやって帰れって言うんだよ」
亜美留「ああ、タクシー会社に連絡して、来てもらいます」
  亜美留、携帯の電源を入れ、ネットの画面を出している。
峻「ちょっと待って。俺の携帯返してくれる?」
  
○ 東京湾岸
  都会のイルミネーションが湾岸を彩る。
  岸壁に止まるカスタード。
  カスタードのそばに立ち、海を眺めているH。
  美智の言葉が脳裏を掠める。
美智の声「Hの母親を殺したのは、霞さんよ」
  左手の拳を強く握るH。
  携帯の着信音が鳴り響く。
  H、携帯を持ち、ディスプレイのナンバーを確認する。
  ため息を漏らすH。

○ 車工場跡地・工場内
  携帯で話している峻。
峻「つながった…」
Hの声「あなたはクビよ」
峻「あの時は、ちょっと訳があって…」
Hの声「どんな訳?」
峻「実は、美智に捕まってたんだ。俺を人質にして、Hをここに呼び出そうとしたんだ。
 それで、俺が機転をきかして、Hを罠から救ったって訳」
Hの声「もっとマシな嘘をつきなさい」
峻「えっ?いや、今のは、嘘じゃなくて、本当の話だって」

○ 東京湾岸
H「これから大事な用があるの」
峻の声「こっちもHに大事なお知らせがあるんだけど…」
H「あなたのホラ話につきあっている暇はないの」
峻の声「G5の事だぞ」
  唖然とするH。

○ 車工場跡地・工場内
峻「G5の遺体がここにあるんだ」
Hの声「…」
峻「父親なんだろ?」
  棺が突然ガタガタと不気味な音を立て始める。
  亜美留、棺の前に行き、愕然とする。
亜美留「高部さん!」
  振り返る峻。
峻「ちょっと待って」
  峻、棺の前に向かう。
  棺の蓋がゆっくりと開き始める。
  呆然とする二人。

○ 東京湾岸
  携帯の受話口から亜美留の悲鳴が聞こえてくる。
H「どうしたの?」
峻の声「棺が…棺がうご…」
  携帯が切れる。
H「もしもし?」
  H、峻の携帯を呼び出すが、つながらない。
  H、カスタードに乗り込む。
  急発進するカスタード。スピンターンし、猛スピードで走り去って行く。

○ 車工場跡地・工場内
  峻、携帯をいじっているが、バッテリー切れ。
  棺の蓋が完全に開く。
  中にいるG5の目がゆっくりと開く。
  不気味な笑みを浮かべるG5。


                                                   ―THE END―

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